徳のある暮らし

暮らしというのは、いつもプロセスの中に喜びや仕合せがあるものです。スピード社会でプロセスを省いて結果さえ出せばいいことだからと結果ばかりをみんなで評価していたら暮らしもそのうち失われていくものです。本来の結果とは一つ一つが重なって時間をかけて結果が出てきます。しかし、現代はプロセスを如何に取り除いて早く結果を出すかが求められます。それが至上の価値だとも思い込み、企業もこぞって競争して早くそれを実現しようと躍起になっています。その結果主義の最たるものが学校で人間の教育の仕方にまでになっているのはとても残念なことです。

子どもたちは本来、プロセスに喜びを感じるものです。遊びというものもプロセスが楽しいから遊びこむことができます。もちろん、目標もあったほうが楽しくなることはあります。しかしそれはプロセスの大切さやそれを深く味わうために用いるもので楽しみや喜びを増すものだからです。

私は暮らしフルネスの中で、丁寧な暮らしをしているとよく周囲に言われます。いちいち、そのものの意味や価値、その意義を味わいながら取り組むからそう見えるのでしょう。実際に手間暇というのは、めんどくさいと思われますがその逆で実は自分も喜び、周囲も喜ぶ、自他一体の幸福の循環を生み出すものです。これを私は徳の循環とも呼んでいます。徳が循環するような世の中になっていけば、誰もが気が付けば丁寧な暮らしになってしまい喜びや仕合せを深く味わえるようになります。それは誰にでも今からでもすぐにできることです。

今の時代の空気感は情報社会でもお金を使うところでも効率優先、結果主義の便利さこそが至上の価値になっています。これは一言でいえば、「心を使わずに脳みそだけで処理する世の中」がいいとなっているということです。

私が提案している暮らしフルネスは、この逆で敢えて心の方を先に使い、心の豊かさが循環し徳が積める生き方を実践していくことです。これは単に丁寧な暮らしのことをいうのではなく、真心を盡す暮らしのことをいいます。

例えばお漬物を合成添加物や保存料、着色料を使わないから丁寧な暮らしをしているというわけではありません。もちろん、私が取り組む日子鷹菜は、そんなものは入れませんが大切なのは真心を籠めて取り組むそのプロセスや結果が単に丁寧な暮らしのようになったということです。

丁寧な暮らしを目指しているのではなく、真心を使うことを忘れないということを大切にしているのです。

似て非なるものもたくさんあります、これは脳が心にとって換わっているからです。情報化社会の中では、心まで脳で心風に処理されるからです。大切なのは、知ることではなく行うこと、知行合一に真心をまず実践することです。脳を使わないというわけではありません、まずは順番として心を用い、脳はそれに付随して活かすという具合です。それを日々の暮らしのなかで日常的に実践していけば脳と心のバランスは保たれ本来の謙虚さや感謝のままの自分でいつもいられるということです。

先人たちはそれを「徳のある暮らし」と呼び、一生かけてその徳を磨いて恩に報いたように私は思います。むかしのものは懐かしいものには、その徳の智慧の伝承が詰まっています。先人たちの生き方に習い、この時代も次世代につながっていることを忘れずに徳を伝承していきたいと思います。