先日、代々刀剣を打つ鍛冶師の方から包丁を購入するご縁をいただきました。私の愛用の包丁は、玉鋼で打たれたものですが非常に滑らな切れ味で食材が美味しくなります。
以前、鍛冶師と出会う前はホームセンターなどの市販の包丁を使っていました。シャープナーなども合わせて購入して、切れなくなるとすぐに研いでいましたが長持ちせずにすぐに買い替えていました。
最初に包丁を換えようと決心したのは、松坂の研師とのご縁からです。研ぎの奥深さ、そして鍛冶師との関係、そして一生使う道具をお手入れしていくことの大切さを学びました。
玉鋼の包丁と出会ったのもそのあとです。日本刀を手入れするうちに、硬くて柔らかいしなやかな鉄のことを知り、鉄にのめり込んでいきました。もともと鉄瓶をはじめ、鉄はあらゆるところで日常的に触れていたので鉄を知るのにそんなに抵抗感もなく色々と深めていきました。
研ぎは、砥石を社員の祖父の伝来ものをいただきそれを用いて包丁を研いでいます。独特の砥石と鉄が交じり合う香りをかいでいると、心も静かに落ち着きます。
定期的に研ぎをしますが、綺麗に研ぎ澄まされた包丁は食材を大切に思いやっているのがわかるほどの切れ味です。
私は隕鉄で鍛造した日本刀を守り刀に持っていますが、以前手入れ中に誤って少し指先を切ったことがあります。その時は、熱いと感じるだけで痛みも一切なく、そしてすぐに傷口がふさがり治癒した体験があります。あの時、切る側だけではなく切られる側の気持ちも体験し、如何に切れ味のよいものには心が宿っているかを実感したのです。
包丁は、使捨てのものではなく最後の最後まで研いで使えます。自分の一代では使い切れないかもしれません。しかしそれをまた次の代が使っていきます。研ぎ切った小さな伝来物の包丁に触れたことがありましたが、まるで老木や長老のような優しい雰囲気で最期まで使われるもののいのちの尊さや美しさ、尊厳に大きな感動を覚えたことがあります。
私たちはすぐに物を買い、捨てます。しかし物ではなく、そこには使い手と用いて、そして道具との心の関りや繋がりが日々に産まれます。そういうものを大切にする心の中に、私たちは日々の心がけというものの生き方を学ぶように思います。
新たに出会った包丁ともこれから関係が増えますが、それぞれの古民家でおもてなしをするときの一つの個性になるように思います。出会いに感謝しています。