共生と安心

烏骨鶏がだいぶ育ってきて、声変わりもしてきました。最初はピヨピヨと可愛らしい鳴き声でしたが今ではコッココッコと大人の声です。私たち動物は、子どものころと大人になると声でも変わります。

身体も大きくなり、自立して移動範囲や生活範囲が広がっていきます。また体の持つ機能を上手に活かし、自然界をはじめそれぞれの社会生活の中で生きていく術と糧を得ていきます。

幼い頃は、親鳥がせっせと餌を運んででは大きくなるまで面倒をみます。この期間は、深い信頼関係を得る時間でもあります。

今回、よくなびいてくる烏骨鶏が一羽いて色々な機会に一緒に連れて外にいきました。言葉も意思もそんなにわかりませんが、安心して信頼しているのがよくわかります。人間も本来は、言葉や見た目、年齢、性別などがたとえ一緒でなくても深い信頼関係さえあればお互いに安心して共に過ごす仕合せを感じるものです。

今の烏骨鶏たちで4代目になりますが、長生きしているものには15年くらい生きているものがいます。オスの方が長生きで、メスをよく守ります。鶏の世界では、智慧としての秩序や序列があります。群れをよく守るものが周囲が認めるリーダーとなります。そして体調が弱いものや病気がちな鶏は敬遠され肩身が狭くなります。

自然界では厳しい環境で生き残るために、まずは自分のいのちを先に燃やすのを優先するということでしょう。しかし、人間が飼育するようになると自然界の厳しい環境が人間の助けによって柔和になっていきます。すると、人間と共生することの方の智慧が増えていきます。

人間がよく飼育する犬をはじめ、猫や鶏は人間によくなついています。また燕をはじめアシタカクモやヤモリやハエトリクモなども人間を恐れている感じではなく共生しているという感じさえします。トンボなども人間によく寄ってきます。人間が益があると思って共生してきた関係の中に、お互いの信頼関係や安心が継承されているのかもしれません。

共生という安心は、自然界を生きていくために私たちが得てきた最も大切ないのちの源泉です。人間に限らず、これは関係性の中にあるものです。例えば、植物や野菜ともこの共生や安心は結べます。

それは安心だという関係を結ぶまで、お互いが深く愛しあうことです。この愛し合う関係というのは、自然の恩寵であり宇宙の原点かもしれません。

そしてこの関係性の中に場があり徳があります。徳の場を磨いていきたいと思います。