カタチをつくる

理解できないものを理解させようと世間に合わせていると、理想から少しずつ離れていくものです。その理由が、今までにないものや現実としては難しいという考え方に囚われていくからです。

現在、成功しているモデルは現代の仕組みの中で成功するものです。例えば、経済などは分かりやすく現代の経済モデルの中でつくられた仕組みはむかしの物々交換のような経済ではなく、金融が中心ですからかつての仕組みでやっていたら全く成功することはありません。しかしだからといってどちらかに偏ってもうまくいきません。なので、現代は折衷案を探して両方バランスが取れるところをやることが精いっぱいです。

しかしたとえば、誰も見たことのない仕組みを考えたとしてそれを実行しようとしたら誰も理解できませんから理解者が出てきません。理解してもらおうと必死に頑張っても、大体よく分からないという反応がかえってきてなかなか前に進まないものです。そのうち、ほら吹きなどといわれ相手にされなくなっていきます。それで折衷案ばかりを探すようになっていくのでしょう。そうなる時は、もう理解してもらおうとするのを諦めて形にしてしまえばいいと私は思うようになりました。

形にしようとすると、その形を観て、人は何かを直観するものです。その人にしかない世界や理想が、何かという姿が少しでも垣間見ることができれば理解しなくても、一緒にやってみようとはするものです。

私も理想を追って真摯に挑戦していますが、時折、色々な方々が来訪されるなかで世間にもっと合わせた方がいいのかなと感じる機会があります。それは色々な会社が関わると、迷惑がかかるのではないかと感じるときがあるからです。しかし、どれだけ世間や周囲に配慮しても結局は理解が追いつかず迷惑をかけることになります。

そう考えてみたら、やっぱりカタチを先に創る方が性に合っているように思います。小さなモデルでも、小さなカタチでもそれができればあとはそれを大きくもできるものです。

主体性や自発性、覚悟や責任などの初心を忘れず自らの手と感覚で実装し実現していきたいと思います。

懐かしい風景、心のふるさと

昨日は、3年前に甦生した古民家和楽で銀杏拾いをみんなで味わいました。今年も色々な異常気象や台風などの被害も受けてだいぶ枝が落ちたりと収穫が心配でしたが全く関係がないほどに大量に収穫をすることができました。

とても数人で食べられる量ではなく、親しい仲間たちにお声掛けしたら平日にも関わらず大勢来てくれました。みんなで銀杏を拾い、土間のある洗い場で汚れを落とし、備長炭で焼いてその場で和気あいあいと一緒に食べる。こんな仕合せが果たしてあるでしょうか。うちの烏骨鶏のなびきも参加して、よく懐いているのでみんなに愛されていました。

懐かしい風景は、心のふるさとです。

私たちは、この懐かしい風景という心の豊かさを知っています。それは長い歳月、魂や遺伝子レベルで記憶されてきたものです。その豊かさは、いのちの喜びです。

ちょうどスリランカからの来客もあり、一緒に日本での暮らしフルネスを体験していただきました。国籍国境問わず、老若男女問わず、みんな自然と一緒一体になって恵みに感謝して生きる場は心のふるさとを感じるものです。

もうどれくらいの歳月、私たちは地球でこの喜びを味わってきたのでしょうか。一つの木が与えてくれる恩恵をどれくらい感じてきたのでしょうか。

銀杏の木は、私達よりも長生きでこれから私が死んでも生き続けて残ります。そしてその木の下で喜び合う私たちを観守ってくださっています。

古民家甦生の前に蔦がまいて枯死し、伐採される危機にもありましたがそれを乗り越えて今があります。一生は、人も木も色々あるものです。そうやって生きる旅の道中で仲間たちと和来いあい慈しみ過ごせる時間を子どもたちにも伝承していきたいと思います。

実践を通して、徳を磨いていきたいと思います。

真の文明

文明という言葉があります。これを辞書で調べると、文明(英: civilization、ラテン語: civilizatio)は、「人間が作り出した高度な文化あるいは社会を包括的に指す」こととあります。漢語でのこの「文明」の意味は、「学問や教養があって人格的に磨かれ世の中に開かれ精神的物質的にも豊かになっていること」をいいます。元々のラテン語のcivilization「野蛮な生活の粗野さから回復した文明的な状態」ともいいます。ローマ時代のこの意味は、都市化のことを指しています。つまり野生的なものに対しての人工的な都市のことを文明と呼んでいたといいます。

この文明というものは、4大文明をはじめ世界にたくさん存在していました。そのほとんどは滅んでいますが、この文明とは本当は何かということです。そしてこの文明を考えるときに発生する豊かさの真の意味は何かということです。

現在、一般的に文明人と呼ばれる人たちの特徴は経済的に発展した都市で生活する上流階級の知識層の人たちのことを指しています。逆に、非文明人とは山村の奥に棲むような数千年も同じような暮らしをしている民族のことをいいます。欧米では、帝国主義の時代にこれでもかと文明人が野蛮人を掃討するといって伝統的にその土地や自然と共生してきた民族たちを追い出しあるいは再教育して文明というものを刷り込んでいきました。

電気も使わない、ガソリンもガスも使わず都市社会に参画できない存在を否定してきました。今では、日本の隅々、世界の果てまで人類の便利な機械や道具が行渡っています。そうやって物質的に豊かになって、今度は人口が増えていきました。それを今度は減らそうとして文明人が今度は文明人を掃討しようとする始末です。

そもそもこの文明人の意味は、人格者であるともいえます。明治の文明開化とありましたが、実際には人格開花ではないことはすぐにわかります。明治のころに破壊したそれまでの日本の文化や伝統、伝承はこの文明という言葉によって別の価値観に入れ替えられました。先ほどのローマ文明のように、「都市化」することに集中したのです。

今ではどんな地域の地方でも、東京にあるような店舗が大きな道路の両脇に立ち並び、工業団地をはじめ今では山もソーラーパネルで埋めつくされています。

結局、ローマをはじめ文明が滅んだ理由を調べるとそこにはすべて豊かさのことが関係しています。同じ豊かさでも、何を豊かさとするのかで国の行く末は変わっていくのです。ブータンなどは、国民総幸福度を発展の基準にしています。そこには心の豊かさが欠かせません。そもそも何が人類の本当の幸福なのかということを見つめ調和、バランスを保ってこそ文明を語る資格があるのではないかと私は思います。

私は日本文明の先人たちの暮らしを今でも甦生して、暮らしフルネスを実践していますが足るを知る暮らしや、自然と共生して予祝して全てを天にお任せする調和や和合の豊かさの中にこそ永続していく未来の在り方そのものの姿があると実感しています。それが今の私たちが存在し徳を伝承している証だからです。

子どもたちに遺していきたい未来は一体なにか、現実世界は主義を用いた一部の欲望者による搾取構造の真っただ中であったとしても、決して現実に負けずに人類の真の理想に向かって取り組むことこそこの世に自分が何のために産まれてきたのかを自明していくことになるように私は思います。

子どもたちの未来には、永続を約束されている真の文明を譲り遺していきたいものです。

智慧と験力

人間は、何か一つのことを専念し磨き上げることで一線を越えることがあります。それは智慧を感得し、特別な技能に達するということです。そこには科学では証明できないようなことも多数発生してきます。

そもそも科学で証明できることなど、宇宙全体のたったの数パーセントです。この世のほとんどは科学では証明できないものばかりで溢れています。そういう特別な科学で証明できない能力を持つひったちのことを超能力者とも呼びます。少しむかしには、それを仙人とも呼びました。

そもそも仙人は、色々な種類の仙人があります。それぞれの道でそれぞれの技がある、それを達人の域に入っているからそれぞれに仙人もいるということでしょう。

この仙人の仙という字は、中国の甲骨文字にある歴史が古いものです。中国の道教では仙人は山に住み、不老不死の薬や、超自然的な力を持つとされていました。

山と一体になり、不思議な験力を感得した人たちということになります。山は自然の中でも特別な場所です。特に岩があり、その岩の窟や磐座などで仙人は修行しています。

この岩には、科学では証明できない不思議な力が宿っているのは間違いありません。英彦山にもかつて修験者たちが修行をしていた窟が49か所あったといわれます。窟で静かに座っていると、深い落ち着きが得られます。まさに不動の徳です。

私たちは、日々に動く存在ですが動かないことではじめて観えてくる境地もあります。それは何が動いているのかを感得できるということです。まだまだ科学では証明できないものばかりにワクワクします、先覚者たちが何を発見してきたのか。そしてそれを現代ではどう取り入れ活かすのか、やってみたことがたくさんあります。

仙人の智慧を学び直しながら、子どもたちにその智慧と験力を伝承していきたいと思います。

自然の徳、人間の道

時代というのは、それぞれにそれぞれの課題があるものです。この時代の課題というのは、人間の世界のことです。人間の世界は何度も失敗をして滅んでいます。かつての遺跡を見ていたら、大繁栄した時代もそのうち必ず終焉を迎えています。今もその当時の価値観で繁栄している世界はありません。遺っているのは、自然と共生してきた自然と一体になっている人間の世界だけです。それ以外は、栄枯盛衰を何度も何度も続けています。

現在の時代は、産業革命以降の資本主義が席巻しています。それを変えようなどと言ったら途方もないことをといわれて諦めることがほとんどです。確かに、消費文明を発展させてきたこの百年以上の歳月、もはや空気のように消費することが価値があることとして認識されて価値観が仕上がっています。消費しないことは悪のようにいわれ、消費に加担しない真の生産者たちはみんなお金を得る機会が失われていきました。そうすることで循環者たちもいなくなりました。まさに時代は、資本主義が成熟した繁栄発展の真っただ中です。

しかし、これもいつまでも続くことはありません。栄枯盛衰があるように必ず滅ぶ時がやってきます。問題はそれがいつなのかということです。今、急に変わるということはないでしょう。よほどの天変地異や世界大戦などの破壊、あるいは宇宙からの別の何かの襲来など期待するくらいしか考えられません。しかし、実際には長い年月を歴史の視点で眺めてみるとそのうちあと100年もしないほどにもうこの価値観は消えて別の何かになっているはずです。

その別の何かというのは何か、それは今の人たちが静かにそれを実現する準備をはじめているのです。世の中全部を丸ごと一気に換えるというのは必要ありません。自分の足元で自分のできることで理想を信じて実践していけばいいのです。

私はそれを暮らしフルネスと徳積循環という実践で続けています。現実には、アニメの物語のように今の体制を変えるほどの大それたことはありません。しかし、長い歳月をかけて先覚者や先達たちが普遍的な道を歩んできたように、いつの日かその時代が来ると信じて道を切り拓いていくのです。

自然がいつまでも地球から失われないように、決して自然の徳は失われることはありません。あらゆる姿に形を変えて道が続いていきます。人間の時代は、一つの一生ですから気づいて変わるかどうかが私たちが試されているということでしょう。

そういう意味で、気づいていく機会はこれからもたくさん訪れます。特に子どもたちはその機会に恵まれていくはずです。そんな時、一つの選択肢として一つの別の生き方があること、あったこと、今でもあることをどう遺していくかが私たちの世代の使命と責任になるように思います。

ある意味、どうしようもないことは無理しても仕方がないので気楽に愉快に全てを天にお任せして自らの道を予祝しながら歩んでいきたいと思います。

どの時代にも遠くを観て、今を生き切る同志に励まされます。ありがとうございます。

 

暢気に道を歩む

諸説ありという言葉があります。これはその一つを論じるのに色々な説があることをいいます。というかこの世には、後から続く者たちがそれぞれに説を語りますから諸説があります。すでに私が起業した会社でも、名前の由来とか起源とか、どのような経緯で今の事業を興したかも社員に聴くとそれぞれに諸説があります。それは一緒に取り組んでいた社員がそれぞれの視点や観点で語るとそこに諸説が誕生するからです。

他にも、以前ある人の遺言で生前よく話していた言葉を石盤に刻みましたがそれも周囲の人たちの間では諸説があって全く纏まりませんでした。結局は、英文にしてなんとなく響きや名前を文章に入れて刻んだことがあります。このように諸説というのは、周囲の人たちがそれぞれに語るからそうなります。

そう考えてみると、宗教などはその最たるもので仏陀が語ったことを周囲の弟子たちをはじめ後人たちがそれぞれに解釈して自分の方が間違いないと語りますから諸説は誕生し続けていきます。そしてその諸説が、派閥になり宗派になって今に至ります。

よく経典を観察してみると、似たようなことばかりを書いていますしそれがまた小さな違いがさも大きなもののように記されていたりします。他には茶道などの作法も派閥によって異なります。最初にはじめた本人はまさかそんなに分派して自分のやり方が諸説誕生するなど考えてなかったかもしれません。しかし実際には、そうやって分派し、よくないことに何百年もかけてどちらが正しいかといがみ合ったりしているのが人間です。

修験道というものも、本来は派閥ではなかったものが江戸時代以降に幕府の管理下に置かれるようになり派閥に属する必要が出てきて今でもその派閥で存在しています。しかしそもそもこの修験道は、一宗一法に執せずという教えもあったりして神仏混淆、もっと言えば何でもありの考え方ではじまったものです。今では袈裟を着てそれっぽくなれば、立派な宗教の人になります。しかし実際のはじまりは、縄文人のような姿で純粋な信仰心からはじまったのではないかと私は直感します。

お山や海、そして河川や岩など、自然物が如何に私たちに恩恵を授けてくださっているか。自然そのものを尊敬し崇拝するのです。自然に諸説はありません。諸説は人間がつくりあげるものです。

私は諸説にあまり興味がなく、始まりや原点などに興味があります。

引き続き、自然体でお山に学び、お山の暮らしから和合を楽しみ暢気に信仰を甦生させていきたいと思います。

自然の叡智、農の伝承

昨日は、下関にあるゆっくり小学校を見学するご縁がありました。ここは自然農の畑を作っており、川口由一先生との出会いからはじまったことをお聴きしとても嬉しい思いがしました。

取り組み始めた頃も同じぐらいの時期で、実践話にも花が咲きました。それぞれ、今の時代に持ち出さない持ち込まないなどの思想に取り組むと色々な課題が出てきます。実際の環境が、その真逆でそれが常識になっている世の中において本来の自然に沿った生き方、自然に合う方法などを選択すればすぐに課題に当たります。

その課題を見つめながら、自分はどこで折り合いをつけるか、そしてそれを逆手にとってどう今に活かすかと私は向き合ってきた20年でした。しかしこの20年で得てきた様々な智慧や経験や場数は今の私の意識を形成し、今の私の人生そのものをとても磨いてくださいました。

自然の中に入り、一人で立つということの覚悟や尊さは今でも私の宝になっています。自然から得られるものは、金銭で購入できるものとは全く異なります。その自然の智慧や叡智は、私そのものの根源の存在と結ばれています。

よく考えてみると、私たちはお水に包まれた地球に存在しています。そのお水は地球の意識そのものです。そのお水と一緒一体になっている肉体は、自然のお水を感じるたびに、地球の意識を感じ取ることができます。そして何が自然で何が不自然かということを学び直します。

長い時間をかけて不自然を増やして、人類はこの地球を人間球にしてきたつもりになりました。しかし実際は、地球はあくまで土とお水と火によって形成されいのちを生成しています。人間もその中の一部でしかありません。

自然農の素晴らしさは、本来どのように暮らしていくことが永続するのか、そして日本民族の心は何かということを伝承できることのようにも思います。

出会いは、色々な機会で訪れますが学び直しは常に今ここで連続していきます。ご縁に感謝して、実践を味わっていきたいと思います。

釣りの変遷

私の家の前にある鳥羽池では、朝早くからいつも釣り人たちが釣りをしています。ブラックバスの聖地などとも呼ばれるため、週末も人気です。ただゴミ拾いをするときに、釣りの道具やクーラーボックスなどが捨ててあったりするとがっかりします。そもそも娯楽というのは、マナーがなければ周囲が不快になるものです。特にここは、中学生たちが何度もみんなで自主的に場所を綺麗にして美しいふるさとを守る為に清掃を続けてくれている場所です。そういう人たちがいて、自分たちが娯楽ができることを忘れないでほしいと思います。私も掃除を続けてこの池の素晴らしさや美しさ、心地よさを見守っていきたいと思います。

というのはこの辺にして釣りについてちょうど関心があったので少し深めてみようと思います。私も学生の頃は友人たちと遠賀川でウナギ釣りをしたり海釣りをしたりと楽しんだことがあります。一時期は、夜の釣りにはまって夜通し朝まで釣りをしていました。夜の暗闇の水中は全く何も観えません、それに何が釣れたのかも引き上げてみないとわかりません。遠賀川では、ウナギだけではなくナマズをはじめフナや鯉や大きな川魚が釣れました。海では鯛をはじめフグなど色々と釣れました。

そもそも釣りのはじまりは旧石器時代からといわれます。縄文時代の遺跡からも釣りの道具が出てきています。その頃は、貝をはじめ海のものを狩猟して食べていたのがわかります。そして当時は、釣り針も今のようなものではなく骨や石から作っていたそうです。撒き餌のようなものもあったように思います。その頃は、生きるための狩猟として釣りをしていたといいます。海の神様に、恵比寿神がいますが釣竿をもって鯛を抱いているのが想像できます。海の恵みの象徴で、私たちがむかしから海と親しんできたのがわかります。

それが次第に娯楽になっていくのは、江戸時代だといわれます。江戸時代には、武士をはじめ女性が釣りを楽しんでいる様子が描かれています。時代劇などを見ていたら、よく魚籠(びく)をもって笑顔で出店の店主にさばいてくれとみんなで分け合って食べているシーンがありました。

その後は、ルアーが発明されたり西洋文化が流入して今の釣りのスタイルになっていきました。今では養殖した魚が大量に出回り、スーパーにいけばすぐに魚はいつでも手に入ります。むかしは冷蔵庫もありませんでしたから、魚はすぐに食べるないと腐りますから干すか漬けるか燻製にするのかなど工夫して保存したのでしょう。川や海の近くだからこそ食べられた有難い存在でした。

今の時代は釣りはどのようになっているのでしょうか、変遷を味わうことで釣りの醍醐味も変わっていくようにも思います。いつまでも自然が豊かにあって、その自然の有難さを忘れないように歴史を学び場に触れていきたいと思います。

天上の風と秋の慈雨

夜半から秋の雨が時折降り、今朝から澄んだ瑞々しい風が吹いてきます。この時期の雨は慈雨のように柔らかさを優しさを感じます。鳥の鳴き声もどこか、この秋風のようで存在自体に癒しを思います。

不思議なことですが、秋の風景はどれも癒しを感じます。これは深い悲しみや哀しみを恕すかのようです。

千峯雨霽露光冷(せんぽうあめはれて、ろこうすさまじ)君看双眼色(きみみよそうがんのいろ)不語似無憂(かたらざればうれいなきににたり)という禅語があります。

私にとっては、今朝のような澄んだ風景のなかにこれを感じます。春の天上に吹く風は、耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶことへの優しさやその有難さを感じます。しかし秋の天上に吹く風は、悲しみや哀しみを乗り越える美しさや喜びを感じます。あくまでこれは感覚の話ですが、澄み切った宇宙の中には何もないようで深い情緒があるように思います。

変化はすべてのいのちの中に宿ります。時として、そのいのちは自分を通してすべてを映します。そのものになって顕れてくるのです。それが心ともいいます。心を通して風景を映すとき、その人の眼にもその風景が宿ります。

もの言わぬその人の奥深い眼のさらに奥に、その人にだけ持っている心があります。同時に如何に愉快に楽しく明るくもの言う人の奥深い目のさらに奥にもまた深い悲しみがあるのです。

人はすべて単純のようで単純ではなく、誰もが悲しみや哀しみを宿しています。たくさんの人が、それぞれにたくさんの人生を宿し、それぞれの役割を全うしていきます。その全ては天上の風がいつも四季折々に姿かたちを換えて見守ってくださっているということでしょう。

毎日、ふとした時に見上げる空に心は深く通じています。そして風はそこから吹いてくることを思い出させます。

癒しはいつも天上の風から訪れます。

秋の慈雨に感謝しています。

ススキの生命

秋の七草の一つにススキがあります。七草は、姫部志、女郎花(オミナエシ)、尾花(ススキ)、桔梗(キキョウ)、瞿麦、撫子(ナデシコ)、藤袴(フジバカマ)、葛花(クズ)、萩(ハギ)です。

特にススキは、この時期は日本全国どこでも見つけることができます。お月見で活躍しますが、古民家では茅葺屋根などでも使われます。もともと茅葺のカヤという植物があるのではなく、ススキ・ヨシ・チガヤのことを総称してカヤといいます。

ススキに似た植物に、荻(オギ)があります。これはススキは乾燥地帯に生えますが、このオギは湿地帯に生えています。微妙に似ているのですが、ススキは株があってオギは湿地のなかで広がりますので生え方も異なります。ヨシも湿地帯です。チガヤなどは、世界最強の雑草ともいわれ繁茂していきます。

これらの植物は、みんな偉大な生命力を持っています。何千年も前から生き残り、いくら刈ってもまた甦生して繁茂します。私たちの先祖は、自然を壊さないようにしながらその自然からいただけるものを選んで暮らしの中に取り入れてきました。

もしもこれらのカヤが簡単に失われるような弱い生命力のものなら、それを敢えて使おうとはしなかったはずです。他にも竹などもですが、先人たちは自然に影響が出ないように配慮しながら暮らしを持続してきたのです。

そしてその生命力に肖り、その生命力を尊敬し真似していこうと生活の中で取り込んできました。自然をどう取り込んでいくかで、私たちは自然の持つ智慧を吸収して一緒に生き残ってきたのです。

現代では生き残っていくというのは、競争社会のなかでレールから外れないようにしていくことのようになっていますがむかしは自然界と同じように地球と共に生きて共に暮らしていくことができることをいいました。

植物たちがもつ四季折々の生き方や生命力は、私たち人間の模範の一つでもあります。風情を楽しみながら、一緒に生きてきたことを思い出し、その徳を共に伝承していきたいと思います。