植物との関係

最近、少しずつ薬草を暮らしの中に取り入れています。人は意識次第でどうにでも見えるものが変わっていくものです。今まで雑草として思っていなかったものが、暮らしに取り入れていくとそれが次第に薬草に見えてきます。薬草を見ていると、よく植物の一生の観察をしていくものです。

どの時期にどう採取してそれを取り入れるのか、その方法は様々です。新芽のままに使うものもあれば、乾燥して用いるもの、あるいは粉にしたりするもの。形状も工夫できます。また、ある植物はすりつぶしたまま貼ったり、塗り込んだり、あるいは飲んだり、蒸留して湯気にして呼吸で吸ったり、蒸したり燃やしたりとそれも色々とあります。

むかしの人たちは植物のもつ偉大なエネルギーや人体との影響をよく観察していたように思います。そしてその土地の持つ元々の力を直感し、それを上手に取り入れることで調和していったのでしょう。

まだ今のような物質的な科学があまり存在しなかった時代、ではどのようにその効能や効果を発見したかということです。

1つには、観察力というものがあります。むかしの人たちの観察力は今よりも大きく優れていたように思います。どのような小さな微細な変化も見逃さず、ありとあらゆる角度から研究しています。長い時間をかけて、じっくりと丁寧にやっていたのでしょう。

また1つには、体験や経験からの洞察です。五感をフル稼働して、そのものがどのようなものかというのを直観から洞察するのです。自然の特徴や、気候や風土の智慧を組み合させてそのものの存在をつかみとったように思います。

つまり私たちは科学の前に、五感や直観や洞察というものがありその鋭敏な感覚によってあらゆる自然の叡智や治癒を学んでいたということになります。

今では薬も、薬が病を治すと信じ込まされています。本来は、病は自分の自然治癒力で治すものです。薬はあくまで自然治癒力を整えたり援助したりするものということでしょう。薬は、本来は毒です。毒も病に入る時、浄化するために活用されます。これは腸内細菌の善玉菌と悪玉菌などとの関係と似ています。発酵も腐敗ですし、腐敗も発酵です。その両方を上手に調和させるところに中庸があり健康もあります。

むかしの人たちは智慧をもってその方法を自覚していたのでしょう。植物をさらに深めつつ、暮らし方、生き方を磨いていきたいと思います。