ご縁を結ぶ

ご縁というのは人と人とのものだけではありません。私たちのご縁は風景や物体、あるいは時や自分自身というものなどあらゆるものの中にあります。このご縁は言い換えれば、関係性の中に存在しているともいえます。もっと深めると、反射や反響というようにお互いに結ばれるときにご縁としているのです。

つまりご縁が結ばれてといいますが、実際には「結ぶ=ご縁」であり二つが一つになるときに私はご縁があったと認識しているように思います。この時の、二つというのは先ほどの関係性の中で感じるものということです。

例えば、私たちは自分で何かを選んで生きているという認識があります。この花を一輪挿しにいれてある場所で活けるとします。花を選んだのも、一輪挿しの瓶を選んだのも場所も選んだのも自分です。しかし、花に私が選ばれ、瓶に選ばれ、場所に選ばれたのが自分だともいえます。これはお互いが選択し結ばれることでそうなったということです。

つまりご縁というのは、どのようなものでもお互いが選択しあっているということです。ここには絶対的な主体性があります。しかし人間は利己的が過ぎると、全部自分でやっているかのように錯覚します。特に自分以外の何かがはたらいてそうなったとは思わず、全部自分が勝手にやったかように錯覚します。事実は、そうなるご縁を結んだということでお互いに選択しあった妙によって発生しているのです。

このご縁というものを感じやすくなる方法の一つは、導かれたと意識することです。導かれているのなら、なぜそういう関係性が発生したかをよく内観してみることです。そうすると、今の自分にもっとも相応しいご縁が導かれている瞬間が感じられます。

一期一会に、導かれていると感じているのならその一つ一つの兆しや意味にも気づきやすくなっていきます。私たちはご縁を大切にすると、ご縁が集まってくるものです。自分が集めたのではなく、ご縁によって集められていくのです。

これを感じるとき、奇跡のような絶妙なご縁を知り、ただ感謝するように思います。よく出会いは必然という言葉も聞きますが、これはお互いが必要としたからということでしょう。

そのご縁に気づいてご縁を活かせるかというのが、自分の選択の正体ということでしょう。丁寧な日々を結び、よく聴きよく味わっていきたいと思います。