井戸の一年

浮羽にある老舗古民家甦生の井戸に関わりはじめて約1年近くなりました。当初はこんなに時間がかかるものとは考えておらず、1か月くらいで終わるものと思っていました。しかし実際には、次々と問題が出てきては終わらずまだまだお時間がかかります。

今時、人力の手彫りで18メートル近くも井戸を深く掘る人などはいません。採算が合わず機械であっという間にボーリングするのです。しかし今回の浮羽の古民家は、家の中に井戸があること、すぐ上に屋根があるので機械がまったく入りません。さらにはかつての井戸を甦生するのに井戸枠などもすでに失われており、内壁が壊れるので作業もゆっくりになります。そしてかなりの深さ故に、水中ポンプの揚力が足りずに中継地をつくるために足場を設け、その分、穴の大きさは通常の数倍に広げることになっています。

湧いてくる水分量も非常に多く、毎回の作業でトラブルがあると水位がすぐに戻ってしまい作業ができません。また家庭用電源しかなく、業務用の電源はレンタルしていますが音がうるさいため昼間しか作業できません。毎回、井戸の水を抜くのに半日かかり作業時間も短くなります。

家の中の作業はトラックも入らず、当然すべて手作業です。砂利や砕石、井戸枠などもコツコツと運ぶしかありません。これを私の尊敬する生粋の井戸職人が一人で行っています。すでに伝説的なお仕事をしてくださり、私もお手伝いできるだけ仕合せです。お手伝いしようにも、井戸職人が危険を伴うため自分一人ですべてを計算して取り組むためほとんど素人の出番がありません。出番があるのは、職人がピンチの時と、人手がいるとき、あとはお金の問題と大変なことの感情的な共有とお見舞いくらいです。ただ心を一緒に和して取り組まないと井戸は穏やかになりません。

そろそろ終わりがようやく見え出したからこそ、ここからもうひと踏ん張りです。秋の長雨などが来れば、井戸がまた水位が上昇して色々と大変になります。

自然を相手にするお仕事は、大変なことや問題があることばかりです。人間の謙虚さが問われ、人間の知恵が求められます。しかし有難いことは、とても澄んだお水がたくさん湧いてくださっていることです。こんなに大変なことだったからこそ、お水が如何に有難い存在かが身に沁みて入ってきます。

先人たちの偉大な生き方や知恵を深く学び直した一年でした。私たちがどうあることが最も自然と共生できるのか、改めて終わりまで真摯に正対していきたいと思います。