時代というのは、それぞれにそれぞれの課題があるものです。この時代の課題というのは、人間の世界のことです。人間の世界は何度も失敗をして滅んでいます。かつての遺跡を見ていたら、大繁栄した時代もそのうち必ず終焉を迎えています。今もその当時の価値観で繁栄している世界はありません。遺っているのは、自然と共生してきた自然と一体になっている人間の世界だけです。それ以外は、栄枯盛衰を何度も何度も続けています。
現在の時代は、産業革命以降の資本主義が席巻しています。それを変えようなどと言ったら途方もないことをといわれて諦めることがほとんどです。確かに、消費文明を発展させてきたこの百年以上の歳月、もはや空気のように消費することが価値があることとして認識されて価値観が仕上がっています。消費しないことは悪のようにいわれ、消費に加担しない真の生産者たちはみんなお金を得る機会が失われていきました。そうすることで循環者たちもいなくなりました。まさに時代は、資本主義が成熟した繁栄発展の真っただ中です。
しかし、これもいつまでも続くことはありません。栄枯盛衰があるように必ず滅ぶ時がやってきます。問題はそれがいつなのかということです。今、急に変わるということはないでしょう。よほどの天変地異や世界大戦などの破壊、あるいは宇宙からの別の何かの襲来など期待するくらいしか考えられません。しかし、実際には長い年月を歴史の視点で眺めてみるとそのうちあと100年もしないほどにもうこの価値観は消えて別の何かになっているはずです。
その別の何かというのは何か、それは今の人たちが静かにそれを実現する準備をはじめているのです。世の中全部を丸ごと一気に換えるというのは必要ありません。自分の足元で自分のできることで理想を信じて実践していけばいいのです。
私はそれを暮らしフルネスと徳積循環という実践で続けています。現実には、アニメの物語のように今の体制を変えるほどの大それたことはありません。しかし、長い歳月をかけて先覚者や先達たちが普遍的な道を歩んできたように、いつの日かその時代が来ると信じて道を切り拓いていくのです。
自然がいつまでも地球から失われないように、決して自然の徳は失われることはありません。あらゆる姿に形を変えて道が続いていきます。人間の時代は、一つの一生ですから気づいて変わるかどうかが私たちが試されているということでしょう。
そういう意味で、気づいていく機会はこれからもたくさん訪れます。特に子どもたちはその機会に恵まれていくはずです。そんな時、一つの選択肢として一つの別の生き方があること、あったこと、今でもあることをどう遺していくかが私たちの世代の使命と責任になるように思います。
ある意味、どうしようもないことは無理しても仕方がないので気楽に愉快に全てを天にお任せして自らの道を予祝しながら歩んでいきたいと思います。
どの時代にも遠くを観て、今を生き切る同志に励まされます。ありがとうございます。