お山を歩く

英彦山の山中を歩いていると、かつての宿坊跡や石垣や墓石など多くが苔むして存在しています。むかしはどうだったのだろうかと想像すると、信仰が盛んな場所だったことはすぐにわかります。いくつかの岩窟を巡り、また祈祷をしたであろうとする場所場所を感じるとこのお山に棲み、どのような暮らしをしていたかも感じ取ることができます。不便極まりないお山の生活の中で、何をしていたのか。それでもこの場所に居る理由に思いを馳せます。

もともといつからこのお山が信仰の場所になったのか、伝説を辿れば最初に入山した僧侶によると遺っています。しかしもっとそれよりも前にも、人がここを訪れこの場所を聖なる場所として大切にしてきたことがわかります。

今では人工林も増え、間伐していない鬱蒼な森が広がっていますがむかしはきっと岩と苔、そして多様な木々に包まれた水が湧き出る場所だったようにも思います。

今から400万年前に火山の影響でできたお山が、長い歳月をかけて今に至ります。

巨石や岩窟を観ては、その当時の溶岩がどのように変化して固まったのかを感じ取ります。明らかに人間よりも数十倍から数百倍の大きな存在を前に、深い尊厳を感じます。

私たちのご先祖様たちはその前で祈り、火を熾しお水を供養し祈りを捧げてきました。その道を踏み分け歩いていくのは、お山に生きた人たちの懐かしい気配を感じます。そういう人たちをまた尊敬した人々の気配も感じます。

私たちは日々にあらゆることで穢れます。そういう時、その穢れを清浄にしようとした生き方の人々をきっと深く尊敬したのでしょう。これは、僧侶をはじめ、侍や儒者なども同じです。

お役目として、美しい生き方を守ろうとする人々、そしてそれを尊敬しいつまでも人間らしい姿を生きようとみんなでお山を歩いて穢れを浄化しては和合し助け合って暮らしてきたように感じます。

私たちはずっと、お山の存在に助けられて今があるのを感じます。この時代も、子どもたちが健やかにあるようにむかしと変わらずにいのちを大切にし、みんなで徳を磨き、恩に報いていきたと思います。