日子の徳道

英彦山の遊行をはじめて体験し、お山の中にいにしえから存在する岩窟や暮らしの跡を辿りました。お山の中は、静かに先人たちの信仰の功徳の数々を遺し場所場所にその祈りの深さや積み重ねてきた行の声を聴くことができました。

これまでもお山には何度も親しみ、存在を深く感じていましたがその場所で悠久の時を暮らしてきた人々の息遣いを実感したのは今回がはじめてでした。苔むして自然に還った庭園、土砂が流れ込んでいる岩窟、また落石した巨石群に大雨で流れた石畳、自然は人々が手入れをしなければあっという間に人間のいない元の姿に回帰していきます。

しかし不思議なことに、人間が長い歳月をかけて信仰して祈るあとには道だけはいつまでも遺っています。その消えかけて失われてきた道を、よくよく辿り歩んでいく先に先人たちの願いや生き方を実感するのです。

私が歩いたように、先人たちも同じように道を歩んでいます。時には一生のうちに何千回も、あるいは一期一会で一度きりだったかもしれません。しかし、その生き方を通して私たちは人間として何が最も大切なことかを学び、自分の人生にとって重要な気づきを得たように思います。

人生はそれぞれ、人それぞれ異なりますが杖がその行く末まで連れていくものです。

この日子山での遊行が、この先にどのような展開になっていくのかはご縁のお導きにお任せしていきます。ただ、この一期一会の方々と祈りながら歩んだ道は一生の宝物になりました。

人生は道です。

道は今も無窮であり、歩く人の志と六根清浄に由り変化します。

また美しい朝霧の光に包まれつつ、この先もまた一途に日子の徳道を歩んでいきたいと思います。