美しい合理性という言葉を、以前ある方に教えていただいたことがあります。合理というものは、理に適っているという意味や、目的に合っていて無駄のないという意味、つまりはシンプルであるともいいます。
シンプルなものは、そこに美しさがある。私たちはそれを美意識と感じることができるということでしょう。これは別のものでは、自然が同じものでしょう。自然はすべて道理に適っています。道理に合わないことはありません。自然は一切の無駄もなく、そこにゴミ一つ出ることはありません。逆に合理的ではないというのは、無駄もあって目的もズレ、道理に外れてゴミも出るということです。つまり何か循環しないものが発生しているということでしょう。
美しいものというのは、地球全体の姿でありそうではないものは地球から外れたことをいうのかもしれません。何が地球や宇宙の理に適っているのかを分かるというのは、地球と共生しその循環の一部としてのお役目を全てに全うしていることが合理ということになります。
また共生というのは、単に一緒に生きているだけではなくお互いの徳を存分に発揮してイキイキするということでもあります。人間であれば、互譲互助している姿に美しさを感じるものです。
この美しさというものの表現には、透明で澄み切ったものを感じる感性を感じます。簡素さや清浄さ、純粋さや真心に人が美しさを感じる理由はそれが合理性というものと結ばれているからでしょう。
まだまだ美については、深めていきたいことがたくさんあります。何が美で何が醜いのか、美醜の別を自然から学び直して美しい合理性を磨いていきたいと思います。