お金のこと

お金というのは、色々な役目を果たすものです。ある時は、人々を豊かにし助けますがある時はその逆に犯罪の原因になります。結局は、お金が問題ではなく人間が問題ということに気づきます。これは環境問題も同じことです。環境を何とかする前に、如何に人間がどうするかということに尽きます。その理由は、その環境問題も実際には人間が問題を起こしているからです。自然に置き換えても、自然は太古のむかしから一切変わっていません。変わったのは人間ということで問題が発生してきたということでしょう。

環境の場合は、人間が本当の意味で生産するのをやめてしまい消費ばかりを優先するようになったことでそれまでの環境が壊されていきました。何が壊れたかというと循環が壊れたということです。有機的に結ばれ一体化している存在が、分断され途切れたということです。これによって一部の場所や一部の人だけが、メリットを享受できるようになりましたが全体最適は消え、それを騙しだましで誤魔化してきましたが限界が近づいてきて今の環境問題になったともいいます。小さなゴミもあまりにも増えて捨てるところがないほどになると、人間は問題だといいはじめます。

この構図と構造と、お金はとても似ています。

お金の場合も同じく、消費することばかりに躍起になり一部の人間が富をストックするなかで全体に巡らなくなりました。循環をやめてしまい、実体のないお金が蔓延していきました。現在の世界中のお金は、17京以上、(1600兆ドル以上)あるといいます。もはや増えすぎて実際の量などはわかりません。それでもまだ増やし続けていき、それを保つために消費を続けます。資源が枯渇してもなお、私たちは消費をやめることができません。それは、お金がその重要な役割を担っているからです。

本来、お金とは何でしょうか。現代では、お金が人間を支配しているかのようにみんなお金のために生きています。お金がなければ生きられないと信じ切っています。まさにお金はいのちであり神様のような状態です。たくさんお金があれば富豪と呼ばれ、権威も権力も持っています。

しかしひとたび、人類が滅ぶほどの天変地異や大災害、不測の事態があるとお金があっても生きてはいけません。その時、必要なのはお金ではないものです。自然界の生き物たちはお金を持っていなくても自然と共に生きています。お金があっても、動植物たちは生きていけません。人間は本来、お金がなくても生きていた存在です。このお金というものが発明されてから、私たち人間はお金のために生きるようになったということでしょう。

よくよく観察していると、なぜ今私たちは生きているのか、活かされているのか。それはお金によってではありません。それは先人たちの徳によってです。先人たちが子孫たちのためにと遺して譲ってきてくださったあらゆるものによって今の私たちはでき、そして今暮らしていくことができます。これは真実であり、揺るがないもので自然界では当然としてその恩徳によって存在しているのはすぐにわかります。

だとしたら、お金はその徳にとって循環するもののときはじめて本来のお金としての大切な役割を果たしていくのではないかと私は思うのです。お金は、元々信頼や信用、そして絆や繋がりなど、嘘偽りのない真心を証明するものでした。正直に生きる世の中においては、お金は御守りのようにお互いを助ける力になりました。

現代は、その見たこともない数字のお金をまるでゲーム感覚で世界を巻き込んで混乱させていきます。これはまるで人間の際限のない欲望そのものです。歴史は、過去に何度も似たようなお金を軸に起きた様々な悲惨な事件を後世に伝えてきました。今一度、私たちは歴史に学び直してお金と人間という問題に向き合っていく必要を感じています。

どのようなお金が循環することが、果たして人間をよくし、どのようなお金にしていくことが子孫たちの未来になっていくのか。この二日間も、それを真摯に考えていきたいと思います。