歴史の甦生

古代からの日本の経緯を紐解いていくのはとても面白く豊かなことです。先人たちの智慧を学び、足跡を学び、そして歴史を学び直していく。本来は、こうやって歴史を常にイキイキと甦生させていく中でこそ私たちは真の智慧を磨いていくことができるように思います。

私たちのルーツは一体どこにあるのか。

私はこの筑豊というエリアに産まれ、北部九州を中心に古民家甦生などに関わる機会が増えました。古いものをよく扱っているからか懐かしいものや伝統的なものを身近に感じることがあります。

そこには今にも息づく道具たちや場所がたくさんあり、そのお手入れをし時にはお掃除をし祈ることで何か不思議な記憶にアクセスすることがあります。それは歴史の教科書に書いてあることではなく、文字で理解するものではなく、まさに心でその場で感じる取ることができます。

そういう感覚があるのはなぜかということを突き詰めてみると、そこには自分の心身体の中で生き続けている遺伝子や先祖たちの息遣いを感じるからです。思い出や記憶は、証拠がないといわれるかもしれませんが証拠などは感覚が気づくものです。それぞれの気づきの証拠を集めれば、そこには一つの真実があります。

現代は物質文明で科学で証明できるものしか信じません、同時に何かをしようとするとエビデンスを出せなどといわれます。もうすでに完結していることを知って、好奇心を失い探求するのをやめてしまうくらいならそんなものは知らなくてもいいかなと私は思います。

子どもたちが持っている好奇心もまた、終わった歴史、誰かによって押し付けられる歴史、またショーケースに入ったホルマリン漬けのような歴史によって失われていきます。そんな勉強は、受験には役立っても実生活には智慧として活かされることはないように私は思います。

生きた歴史、活き活きする歴史は、今の私たちの生きる道や學ぶ好奇心の中にこそあります。そういう真の歴史をみんなで探索していく場や機会が増えていくことは、郷土や郷里の活性化にもなります。まさに歴史はブロックチェーン型、自律分散型がぴったりです。

色々とこれからも新たな歴史の道を愉快痛快に開拓し学び続けていきたいと思います。