丁寧な意識

私たちは常に意識というものを持ってその物事に取り組んでいくものです。その意識の差が仕事の差になり、成果の差にもなるものです。どれだけの意識の境地を持っているかで、偉大な差が出てきます。

例えば、仕事でも単なるお金や指示命令に従っているものか、あるいは全生命を懸けるほどの情熱と熱意と努力で取り組んでいるのかで意識は違うことは誰でもわかります。自分の意識がどのようになっているのか、そこには人生の目的や生き方、あるいは信念などが影響を与えるものです。

何のために取り組むのかが変わると、意識もまた変わります。自分の意識というものをどの境地でいるのかは、実は何をするのにもとても大切なことであるのは間違いありません。

私が尊敬している人たちの意識には、ある共通点があります。それは物事から学ぶ意識、尊敬する意識、改善する意識、好奇心や情熱の意識などが徹底して磨かれていることです。それを表現するのは、「丁寧」であること、あるいは雑ではないということです。

この雑さというのは、意識からするととても残念なことです。雑な意識、雑な生き方、雑な行動のなかには先ほどの共通意識でしたような尊敬も改善も学も好奇心もありません。

非効率であり、手間暇がかかりまた努力も苦労もたくさんあったとしても丁寧さを失うことがありません。この丁寧さというのは、意識の境地があるということです。

丁寧な暮らし、丁寧な接客、丁寧なお手入れ、丁寧な言葉、丁寧なあいさつ、丁寧な生き方、丁寧な作業、丁寧な食事、どれにしても意識がある境地にいつも入っている実践です。

こういう意識の境地を調えていくことが、徳を磨くことにもなり、人格を高めることにもなり、いい仕事、いい人生、いい関係、いい影響、いい環境を創造していく人になるということでしょう。

子どもたちに見せられる大人の背中であるように、丁寧な意識を磨いていきたいと思います。