いのちゆらゆら

昨日は御蔭様で無事に冬至祭を豊かに仕合せに過ごすことができました。各地からこの日にこの場に集まり太陽に祈り感謝でお祝いできることも一期一会で二度とないことです。

私たちは毎回、生まれ変わり新しくなっていきます。これは、時を過ごすときによく感じるものです。同じように朝起きて祈り挨拶をしても同じことはありません。この世にいるとき、私たちは同じことを繰り返しているようで全く同じではないことの体験をしています。これは地球が自転していることも同様で、まわっていても地球上では同じことは起こりません。毎回、新しいことに巡り会うのです。

しかし私たちは、同じように繰り返し生死を巡ります。これは生死ではなく、一つの回転ということです。この回転には、ゆらぎがあります。このゆらぎがあるからこそ、私たちは同じことが起きないのです。

ゆらぎというのは、波動とも呼びます。私たちの生命は、このゆらぎや波動こそその正体ともいえます。そのゆらぎを感じるとき、私たちはゆらいでいるという感覚を知ります。ゆらいでいるからこそ、「感じる」ことができるということです。ゆりかごのように私たちのいのちはゆらいでいるのです。

冬至というのは、ゆらぎを感じる大切な瞬間です。むかしの人たちは、光と影でそれを感じたのかもしれませんし、あるいはこころの働きや動きでそれを感じたのかもしれません。

地球の地軸が23.43度傾いたのは、隕石の衝突という説もあります。しかし、私はそうではなく地球自体がゆらいでいるからという氣がしています。このゆらゆらとゆらぐことで、いのちをゆらします。

いのちゆらゆらとあることの有難さに適うものはありません。

御蔭さまで柚子の香りが充ちている場で、いのちが甦生することの喜びを味わう一日になりました。新たな一年を歩いていきたいと思います。