私たちが生きていくために必要なものはお水です。お水がなければ、人間は生きていけません。実際には、体内の20パーセントの水がなくなれば私たちは死んでしまいます。その逆に、水中毒といって水を摂取しすぎても死んでしまいます。私たちの身体は絶妙な水分を保つことによって健康を保っています。
そのお水をどのようにして確保するかは古代からの命題でした。今では日本などは上下水道が確保されて、蛇口をひねれば水が出て、トイレの排水なども別の排水路で処理されます。しかし世界にはまだまだお水の確保ができない国がたくさんあり、何キロから十数キロ先まで飲める水を確保するために歩いたり、雨水を貯めて乗り切ったり、汚染された水で病気が増えている場所もあります。
このお水の確保は、私たちの生命線です。英彦山の宿坊に住んでみて感じることは、お水の尊さです。お水が貯水できる山は、むかしから大変貴重なお山として信仰の対象になりました。原初の信仰は、お水です。その理由は先ほどのようにお水がなければ生きていけず、お水に活かされているといことを自覚することが信仰の原点だったからです。
そして世界の文明のほとんどが、そのお水の確保やお水との関係によって築かれていきます。例えば、遺跡などもよく観察すると岩や石で構成されます。岩や石は、水を上手に活かすためには必要不可欠です。これが泥であれば、濁って澱んでしまいます。お水は流れないとその生命を維持することができません。体内と同じように、常に水が流れ続けているから私たちは腐敗せずに健康を保てます。
同時にお水が確保できるお山は水が滾々と湧き出ています。お水の確保ができるのお山に近くに住むことは私たちが生命を維持することにおいてとても重要だったのは間違いありません。そして太陽を拝み、食べ物を確保していくのです。
太陽を拝みお水を供物としてお祀りして捧げることは雲を呼び雨を降らせまた循環させ続けてくれる存在への感謝だったのでしょう。
時代が変わって文明によって何でも便利になって忘れてしまいますが、お水こそが生命や暮らしの中心でありそこがあってはじめて私たち人間は人間であることができるということでしょう。
お水に感謝して、お水のある暮らしを調えていきたいと思います。