スリランカの訪問を控え、仏陀のことを調べていると今まであまり考えてこなかったことに気づき舞う。日本で生まれたら一般的には身近にお寺や仏壇があり葬式や法事があるため仏陀の教えに接してきたものです。しかし当たり前すぎて疑問に思わないで刷り込まれたものも多く、ちゃんと自分で現地で確かめたものはほとんどありません。改めて、そもそも仏陀とは何かということを少し深めてみようと思います。
この仏陀(悟った人)の本名はガウタマ・シッダールタ、パーリ語ではゴータマ・シッダッタは紀元前5〜6世紀頃の人物で現在のインドとネパールの国境付近にあった小国ルンビニーに生まれた人でした。父は釈迦族の国王であるシュッドーダナ、母は隣国コーリヤの執政アヌシャーキャの娘、マーヤーです。
王子として誕生した仏陀ですが色々と後で神格化されているのか、伝説ではお母さんの脇の下から産まれてすぐに天上天下唯我独尊と天を指さして語ったといいます。これはそう誰かが思ったということで赤ちゃんがまず脇から産まれませんし、言葉もしゃべりません。ただお母さんは出産後した翌週に高熱で亡くなります。仏教に関係する名僧などは、みんな幼い頃に親を亡くしている人が多いです。もしかすると、この辺の心の共感や深い悲しみが仏道に導くのかもしれません。
その後は、とても裕福で優雅で何不自由ない生活を楽しみ19歳でいとこのヤショーダラーと結婚し、息子ラーフラが誕生します。順風満帆だった仏陀ですが、ある時、四門出遊という体験をします。これは簡単に言えば、生老病死の苦しみがあることに気づいてしまったということです。そしてその苦しみを取り除く方法があるのかと、王位を捨てて出家してしまいます。
そうして瞑想をはじめても悟れず、数々の苦行を増やして最期はギリギリの状態まで自分を追い込んでいきました。苦しみを乗り越えようとすればするほどに苦しみが膨大になっていく、その苦しみの連鎖のなかでついに苦しみを諦める機会が訪れます。それは今にも死にそうな仏陀をみて、村娘のスジャータが与えてくれた乳粥を食べさせてもらうときに気づきます。それから菩提樹の木の下で瞑想をし、35歳の時についに中道、悟りを開きます。ある意味で、極端な修行によって中間を修養したのかもしれません。そして諸行無常の真理を解きます。つまり、あらゆる物事は常に変化し続けているものでり、変わらないものなどないということを悟ったといいます。
これは自分の人生を振り返っても誰でもが共感するところです。つまり永遠に同じ状態でいられるということは宇宙においてはありえないことで、人は変化するから苦しみが増え、変化するから苦しみを諦めることができる。もっと突き詰めると、変わり続けることがもっともちょうどいいことだということ。そして仏陀は亡くなる最期の言葉の一つに「諸行は滅びゆく、怠らず努めよ」といいます。変化するから精進せよと。常に今を生き切ることの大切さを語ります。そして、それがもっともちょうどいいことだとも。
何を仏陀が悩んだのか、何を苦しみと思ったのか、その人生から洞察することができます。私たちはずっと変わらないでほしいと願うような願望を持っています。このままがいつまでも続きますようにとも祈るような思いをするときがあります。それは人それぞれに異なるでしょう。それを執着ともいいます。あまりにも辛いことは早く過ぎてほしいと思うし、人によっては手に入れた財産、栄光や幸福はいつまでもこのまま時を止めたいなどとも思うものです。しかしそれもいつかは消え失せます。まず自分の肉体が先に消えうせます。健康だって一生そのままであることもありません。だからこそ、どうするかと向き合ったのでしょう。
人間というものの存在をここまで真剣に向き合った人がかつていたかというと、やっぱり最初は仏陀だったのではないかと思います。その人間としての道、生きる道を探して歩いた道はその後も同じように人間を生きる後人たちが続いていき今に至ります。
原初の仏陀は、大変失礼な言い方かもしれませんがとても人間臭い存在です。だからこそ、その言葉は多くの人たちの心の中で生き続けているようにも思います。
その後の仏教がどのように現代にいたるのか、その辺もまた深めてみたいと思います。