「セレンディピティ」という造語があります。これはスリランカの3人の王子の物語から創造された言葉です。この物語は、イギリスの政治家で小説家でもあったホレス・ウォルポールが制作したものです。もともとアラビア語でスリランカのことをセレンディップと呼ばれていました。
この物語はかなりかいつまんで話すと、スリランカの王が幼い頃から知識を習得した3人の息子に跡継ぎの経験を積ませるために旅に出させます。その3人がペルシャに行くときに、ラクダ泥棒の嫌疑で拘束され死刑宣告を受けます。その理由は、足跡から正確にラクダの情報をすべて言い当てたのできっと泥棒だと思い込まれ訴えられたからです。しかし、皇帝が真偽を確かめるためになぜ足跡からそこまで分かったのかを聴くと、見事に洞察した内容を返答し、感動して褒美とその国で力を貸してほしいとまで頼まれたという話です。
ここから西洋的には、「思いがけない幸運」と訳されたり、あるいは「偶然または聡明さによって、予期しない幸運に出会う能力」といわれたりもします。日本では近いことわざに、人間万事塞翁が馬や棚から牡丹餅などがあります。
どちらにしても偶然に想像すらしなかった出来事によって、何かさらに善い事になっていくという意味でしょう。セレンディピティとは、そういうときに使われる言葉となりました。
色々と発祥の地はスリランカではなかったとか、諸説ありますがどちらにしてもよくよく観察するとそれは実は善いことだったというのは往々にしてよくあることです。
しかし人間、うまくいかないときや失敗続き、あるいは後悔するような出来事の時はとてもそれを善い方へと考えることができないものです。
日本では、禍転じて福になるということわざもあります。
信じる力というのは、経験としてはとても大切な徳目であろうと思います。私も色々とこちらで起きていますが、セレンディピティとして過ごしていきたいと思います。