自然界には戦争というものはありません。食べ食べられる存在ではありますが戦争をしているわけではありません。必要以上のものは食べず、生きていくためにお互いに循環の世の中で分け合い暮らします。人間は人間性を失ってから戦争をはじめました。その戦争のはじまりは便利なことを知ったことからはじまります。この世で便利さに気づいた人間が、人間性を失い最後には人間ではなくなっていったのです。
では人間ではないものというものは何か、それは人間ではない何かということになります。不思議なことですが、私たちの認知できないことがこの世にはたくさんあります。空気のように最初からあったものに人間が気づかないように、人間がすべてに気づくことはありません。
しかし、心のどこかで違和感というものを感じるものです。この違和感の正体が空気に気づくための方法かもしれません。
数千年を生きてきた先住民族たちは、自然と共生する術を持っています。自然に寄り添い、自然から守られて生き続けてきました。私達よりもずっと長く存在する自然は、私たちいのちの先生でもあります。
その先生の教えを素直に学び、自然の中にある人間としての徳を磨いていくことで私たちは自然の偉大な仕組みと同化してきました。それは当たり前にあったものです。そこから何かが追加され、現代のようになってきたのです。
伝統文化というものは、法律でもルールでもありません。それは今まで自然界と共に生きてきた人々が持つ暮らしの記憶です。この暮らしの記憶の中には、私たちの人間性が宿っています。
現代においても、私たちがその暮らしの記憶を大切にして歩んでいくのなら人間性は磨かれ徳が積めます。
今、私が取り組んでいることはこの暮らしの記憶を甦生することです。
子孫たちや先人たちに恥ずかしくないように、今を大切に結んでいきたいと思います。