当たり前

人間は善悪や正否という考えに刷り込まれているものです。特に日本は集合意識というか大多数の人たちの正義や事実を真実というように思いこみます。マスコミをはじめ、テレビで報道される内容を鵜呑みにしている人が多い国とも言えます。

以前、海外の友人が来られたときにリテラシーの話をしました。彼らは自分から常に情報を取捨選択し、自分から行動して真実を確かめるようにしていると。コロナ騒ぎの時も、自分で本当に何が正しいのかを判断するまで情報を取捨選択したといいます。

今のように情報が氾濫しているような時代は、何が真実かもわからなくなってくるのは仕方がありません。私は自分でお米や野菜をつくっていますが、周囲では無農薬や減農薬、有機栽培や自然農法など色々といわれて販売されています。実際には、本当はどうなのかは自分でつくっていないとわかりません。本来、むかしはみんな無農薬で化学肥料など使っていませんでしたからそんな情報などなくても問題ありませんでした。今では、種の改良をはじめ遺伝子組み換えなどもでていますから何も情報がない野菜はむしろ危ないのではないかと心配される始末です。

つまりは生産性を優先して、不自然に無理な生産をする過程でおかしなことをしてきたから情報が氾濫してきたともいえます。これに加工方法まで不自然な加工をしているから何が真実なのか手に届いた時には誰もわかりません。

そこで現在は、ブロックチェーンを使ったトレーサビリティといって生産から加工まで不自然なことをしていないかを証明する仕組みを導入するところが増えています。これは偽装をさせないししていないという証明ですが、そもそも不自然な生産をしているものを証明してもそれを不自然だと思わなければ本末転倒になるでしょう。その中にはお金のために過剰に大量に生産することも不自然ということになります。

私は伝統在来種の高菜を育てて加工して漬物やスパイスにしていますが、いわゆる何もしていません。むかしながら種で普通に種を蒔き、農薬や肥料も使うことなく収穫したら天日干しにして樽に塩で漬けこみます。塩も海水を薪で煮込んで乾燥し天日干ししたものです。いわゆる何もないむかしの高菜漬けです。

しかし周囲の高菜は、宣伝文句や加工方法に無添加とかパラベンフリーとか自家農園生産とか、発酵無使用とか手作りとか書いています。そういう私も結局は説明するために、何もしていないことを書くために長い文章と写真でパンフレットをつくっています。

おかしな話で、今が偽装や不正が多いからそうではないよというのがアピールポイントや商品の魅力になっています。私からするとそんなことしないことが、生産するうえで生産者として「当たり前」でそれは不自然だから当然しないという人間性や真心の問題だと思います。

お金をたくさん得るために過剰に生産をして販売をする。そのうちに当たり前だったものが当たり前ではなくなり、情報が錯綜していくのでしょう。

今の時代、真の情報とは何か。

それは生き方だと私は思います。真心の生き方をしている人は、そこに偽装は必要ありません。そして当たり前にその人は、自然に寄り添った人生を歩みます。それは暮らし方にも出てきますし、働き方にもでてきます。生き方は偽装できないからです。

子どもたちのためにも、日々に丁寧に当たり前の暮らしを磨いていきたいと思います。