祓い清める生き方

昨夜は立春のご祈祷をして奉納演者の方々とみんなでお豆腐を食べてゆっくり過ごしました。同じ釜の飯を食うという言い方もありますが、寝食を共にして心を打ちとけてゆったりと過ごします。毎年例大祭の時は、節分からの流れで穢れを祓い、そして福を招きます。祓い清めるというのは、私たちの心の修験の真髄です。

そもそも私は特別な宗教や宗派に属しているわけではありません。神道も修験道も形の中にこだわるものはなく、神道であればかんながらという常に神人合一の実践をしていこうとする生き方であり、修験道は今をどう内省して深く味わい今を磨くかという今を生き切る実践をする生き方として認識しています。

日々の暮らしは、まさに実践そのものであり日々は修行そのものです。

先人たちは生き方としてこの祓い清めるということを生活の中心に据え置いていたように思います。例えば、お水を中心に暮らせば日々に洗い清める連続です。火も、土も風も光もすべて洗い清める存在です。

昨夜は大寒波の襲来で凍てついた空気でしたが、空には美しく澄んだ月が出ていました。お月さまもまた、祓い清める存在として夜を暮らします。暮らしは土に入れば、お墓です。そのお墓に祈りを捧げご供養することもまた、穢れを洗い流し、清めて福にしていくことをします。

日々というのは、小さな祓い清めの連続です。

お掃除やお手入れの功徳はまさにこの祓い清めることをすぐに味わう実践でもあります。場を調えて、場を磨いて、場を清める。この行為もまた、かんながらの道であり修験道であり、暮らしフルネスの実践です。

同じ人生であるのなら、場を荒し、場を穢し、場を壊し、場を乱すようなことを積み重ねる人生よりも場を少しでも美しく清らかに調える方が今に感謝し、未来に徳を譲れるように思います。

同じことを繰り返したとしても、その同じことの中には必ずこの祓い清めるという生き方がある。その安心感こそが、先人が遺してくださった智慧だと実感します。

みんなで祓い清めて新たないのちを彌栄元氣にしていきたいと思います。