いのちの役割

私たち人間は誰しも生き方というものを学び成長していく生き物です。お互いにそれぞれに別の人ですから同じ人、同じ役割になることはありません。お互いに違う役割だからこそ、尊重しあい助け合うことができます。

現代の教育では競争社会のなかで、みんな同じ役割を目指しますがそんなことは不可能です。粒子で見れば同じかもしれませんが、役割が異なるから別の姿になって顕現していきます。

今の自分の姿は、唯一無二の役割を果たそうと今のかたちになっています。いのちというものは、役割がありそれぞれの役割を一生懸命に生きようとします。それぞれが自分を生き切るとき、お互いの役割が合わさって全体のいのちを支えるのです。自分らしく生きるというのは、自分になるということです。

私たちはそのいのちの姿を科学的に証明しようとします。それが現代の機械にも出てきますし、経済という金融の姿にもなってきます。しかしよくよく観察すると人間都合の役割が増えると本来のいのちの流れからするとあまりにも歪なものが出てくるものです。その証拠に、不自然なその姿は自然には適応しません。自然はいのちではないものを活かせないからです。

いのちは時間を経ていくうちに変化していきます。それは役割が少しずつ変わっていくからです。気候変動などもその一つであり、刻々と変化は已みません。自然界にあって壊れないものがないように、これは役割が変わっていくことを意味します。それを修繕することによって、新たな役割を与えること。これを私は「甦生」と定義します。甦生はここでは書ききれないので別の機会にしますが私たちは先祖からずっと今に至るまで一つの経糸で結ばれています。そこにも大切な使命や役割があります。そこに今を生きる私たちが横糸を通して結び直します。時には絡まり合ったものを解いていく必要もあります。その時、探していくのはお役目の意味です。

いのちは常にお役目を生きます。ご苦労様と見送りながら、おめでとうと誕生を新たに祝います。日々は、この連続でありその中ですべてのいのちを輝かせていきています。

子孫たちのためにも、先人たちがそうしてきたように変化を味わい本来の役割に目覚め、自然の普遍的な真心に気付けるように丹誠を籠めて徳を積んでいきたいと思います。