私が幼少期より馴染んできた神社の境内には、それはもう美しい川が流れていました。お汐井取りが有名で、澄み切ったお水に人がたくさん集まってきていました。
それが土砂崩れの後の堤防や砂防ダムなどの工事によって水が汚染され、かつての清涼で澄んだ川は破壊されてしまい濁り澱んだ水になりました。そして人も集まらなくなり、神社も場も寂しい感じになりました。
神域のお水が汚れるというのは、とても悲しいことです。実際には、お水が湧くところが汚れたのではなく人工的にダムをつくったところのお水が澱んだということです。
自然環境に対して、人間が何かをするとその場所の循環が滞ります。循環が滞ることで様々な汚れが出てきます。循環が澱まない場所を言い換えるのなら神域と呼ぶのでしょう。
私はこの神域の御蔭さまで、お水や自然の循環の中に入り自分のいのちも健やかに育まれてきました。それが滞るのを見るのはとても辛いことです。現代の人間の問題を真摯に向き合い、そのうえでどのように神域を甦生していくか。
これから長い時間をかけても、一人でも神域の甦生をやり遂げていこうと覚悟を決めました。人間の問題は色々と利害や損得がつき纏いますが、本来の自然や神社の場が喜ぶ方だけを観てその中に人間が和合できる道を模索していきたいと思います。