結界の甦生

郷里の妙見神社の山中の神域を遊行したときに大きな岩石、一般的には磐座や巨石というものに出会いました。英彦山にも山中には大きな岩石がたくさん見かけます。この大きな岩石は、威厳や威風があります。まるで山がそのまま鎮座したかのような雰囲気です。

この岩は、色々な捉え方があります。お山の結界であったり、あるいは依り代であったり、またあるいは修行場の証明であったり認識は様々です。

先日訪問したスリランカでも、仏教の聖地はほとんど大きな岩石の場所にありました。その場所を神域として、たくさんの僧侶たちがそこで修行をしていました。まるで岩に守られているかのような様子でした。

よく考えてみると、私たちがいる場所の地下にも大きな岩盤が存在して地上を支えています。私たちは岩によって場所を保つことができているともいいます。宿坊も石垣があり、土を固め水をはじきます。岩がなければ場を保つこともできません。

神域の山中には、あちこちにむき出しの岩がでています。その岩が自然に横たわり、お山の表情を彩ります。岩の下や岩の穴に入るときは、背筋がぞっとします。もしも倒れてきたらや、落ちてしまったらやあるいは岩が割れてしまったらなどと畏怖がでます。その畏怖を鎮めてそのまま座ると、まるで地球に鎮座したような感覚になります。

つまり引力や重力をはじめ、力が一点に漲るのを直観するのです。

岩には他にも悠久の記憶を感じます。周囲が変化をしても、岩は変わらずにその場所に数千年、数万年と鎮座しいています。今、急にできたものでもなく、この数十年や数百年でできたものではないのです。

そう考えると、記憶装置のような存在です。これは星々の正体にも似ています。

岩を祀るのは古代からずっと意味は普遍に存在しています。岩と岩は結ばれていて、その間に界があり、それを結界と呼びます。岩の配置によって場を創るのです。

子どもたちにこの岩の持つ徳を伝承していきたいと思います。場を清め、場を調え、場を感じるよう本来の結界を甦生していきます。