杖の伝承

遊行を通して山中を歩いていると、錫杖の音が響いてきます。杖を頼りにするというのは、不思議な境地でまるで人生の歩き方を導いてくださっているかのように感じるものです。

杖というのは、いにしえのむかしから人類には多大な影響を与えてきました。儀式的な権威や宗教儀礼のものとしてであったり、実用的に体が弱った時に支えるものであったり、登山や歩行の補助にもなりました。

実際には、どれも「頼りになるもの」「信頼の象徴」として使われてきました。この杖は、単なる木や棒ではありません。つまり頼りにするとき杖となります。

杖の歴史は古く、一説には人類が最初につくった道具が杖だといわれています。神様の依り代として考えられており、日本でも杖は古墳から出土しています。日本の文献で杖が初めて登場するのは「古事記」の上巻で「御杖(みつえ)」と出てきます。神聖なものとして「御(み)」がつきます。

世界各地でも杖は神様や王様、部族を纏めるものが持つものとされていました。杖もご神木でつくられたり、最も神聖なものとして崇められました。

権威の象徴としてのはじまりは古代ギリシャ神話の「アスクレピオスの杖」だともいわれます。そしてモーセなどの預言者も杖を持ちます。他にも魔術や魔力を秘めたものだとして医者をはじめ巫女や魔女なども杖を持ちます。

この杖は、人類にとって単なる身体補助の道具ではないことはすぐにわかります。

現在、杖を使って人生そのものを學ぶための遊行を開始していますが山中にて杖を持つほどにその意味深さを再実感しています。

子どもたちのためにも、いにしえから続く真の意味を伝承し、人類が何によって導かれてきたかを見守っていきたいと思います。

 

同行コンサルティング

コンサルティングという言葉があります。この言葉を調べると語源は、ラテン語の「consultare」だといいます。この意味は「共に話し合うことや協力して意見を出し合う」という意味だとあります。そして「consult」という言葉を分解すると、「con(共に)」と「sulere(取る)」とあり、共に座り考える、また相談するという意味です。

つまりは、一緒に考えて共に歩むということがその言葉の本質です。

世間でいうコンサルティングの仕事は今では多岐に及びます。日常的なビジネスなどでは様々な定義も分類もあります。例えば、一般的には専門的な知識があり客観的に分析したりアドバイスをしてクライアントを導くような仕事。または、具体的に組織の人間関係を含む経営課題を解決に導くために仕事などもあります。

私の場合は、「見守る」という実践を仕事にしてきましたから見守り合う関係を通して一緒に取り組み伴走するうちに次第にコンサルティングの方といわれるようになりました。

そもそも誰かの人生に大きな覚醒や気づきや影響を与えるということは、共に成長していくということで発生します。共にお互い様と御蔭様の心の関係を結んだら、一緒に成長しあっていく。成長する人同士だからこそ自他が一体になりお互いの成長する姿に刺激されることで共に高め合っていくことができるものです。これは自然界も同様に見守り合う中で育ちあいます。

教える側も教わる側も本来は本質として表裏一体の存在であり、これは同志であっても師弟であってもお互いに深い尊敬と成長しあう関係があって成り立っているものだからです。

そして見守る時に最も求められるのは、心を寄り添うという伴走型であるということです。この伴走というのは、共に走っているという関係です。単なる並走ではありません。むしろ見守りに近い別の私なりの言い方では、「同行」ともいいます。この同行も、一緒に行動する、同じ道を歩むという意味です。また四国八十八か所巡礼に同行二人(どうこうににん)という言葉があります。この「同行」と「二人」を合わせた「同行二人」という言葉は、巡礼者が弘法大師空海の生き方、智慧、そして教えや精神を学び一緒に道を歩んでいくことを意味するといいます。

私は本来のコンサルティングという生き方はこの同行二人にこそあるように思います。そして伴走するというのは、同じ心で同じ理念で共に一緒一体になって取り組むということです。

そうすると、一般的なコンサルティングのように専門家による部分最適のみをビジネスのためにやるのではなく常に「全体最適で一緒に人生を生き切るという実践」が必要です。つまりは、実践を通して貢献する。自分の体験や経験や研鑽がそのまま、一緒に同行する相手の成長の糧そのものになるということです。お互い「道」に導かれるように歩んでいくということです。そこには偉大な「場」が誕生します。

こういう関係は、一生涯のうちに滅多に巡り会えることではありません。同行同時のように、同じ人生をシンクロさせるような一期一会の関係を築くことです。一般的にはあまりにもリスクも高く、効率もわるいので世間的なビジネスにはあまり向かないかもしれません。しかし、そもそも人は利他や貢献、そして共生をしたいと心から願うものです。自然にコンサルティングになるのなら、ほとんどはこのような同行二人の境地に入ると私は思います。そして本来の幸福を考えるのならば、私はやはりこの「同行コンサルティング」にこそ深い共感を覚えます。

子どもたちのためだからこそ、子孫に恥ずかしくないような仕事を遺していきたいと思います。

 

ことほぎ

古来から日本には、「ことほぎ」という文化がありました。漢字では「寿ぎ」や「言祝ぎ」とも書きます。もともとこの言葉の意味は、祝いの言葉を述べて祝福するという意味です。

言葉は言霊ともいい、むかしから呪力があるものとして大切にされてきました。例えば、日頃の自分の使っている言霊によって現実も変化するということです。自分の状態が言葉になったのか、それとも言葉によってその状態になったのか。よく考えてみると、この前後関係や表裏関係はどちらが先でどちらが後かもよくわかりません。

言霊というのは、自己一体になって発されるものでさらに言えば、全体と一体になって発しているものであるともいえます。言霊を発しながら、その言霊によって自己の運命が導かれていくともいえます。

毎日、自分がどのような言霊を発したか。それをよくよく観察すると、自分の今がどのような状態であり、それが過去にどうで未来がどうなるかも洞察することもできます。

特に、今の言葉を省みると過去をどのように過ごしてきたかがわかります。またその発した言葉がどれだけ遠くの光を観つめて発したのかということもわかります。言葉は、まるで生き物のように自分と一緒一体になってこの世に生き続けています。そして死語においても、その人の言霊は生前と変わらずに力を持ち続けていきます。

私は座右の銘や、大切にしている信条をいつも身近に置いています。事あるごとその文字や言葉が目に入り自分の力の源泉になっています。これは理念然り、初心然り、いつも身近で見守る大切な言葉として共に生きています。

言葉は、その人がどのように用いるかでまったく威力が変わります。ある人は、心から応援する言葉を発し、ある人は、脅したり怖がらせたりする言葉を使い、またある人は、思いやりや癒しの言葉を発します。

それはその人の内側の生きざまや生き方から発されるものであり、常に言葉は魂のように暮らしの中で醸成され子どもが育つように共に成長を已みません。

何かを信じるというのは、先にそうなっているようにイメージするということでもあります。これを日本では予祝ともいい、言葉を先にして現実を受け容れていきました。たとえ現状が苦しくても、言葉までは力を失わないようにしたいとことほぎをしていたように私は思います。

これはニコニコ顔で命懸けということでしょう。それだけ生きる覚悟を持って暮らしを営んでいたともいえます。

先人たちの生き様や生き方は、言霊の中に宿っています。丁寧に甦生して、この先の子孫たちがその恩恵を受けられるように結んでいきたいと思います。

新たな時代の地縁

現在、職員の常駐しない田舎の小さな神社などはその地域に住んでいる人たち、自治会によって運営されているところが増えています。そこでは自治会=氏子という位置づけで様々に地域の活動を分担しています。これを「地縁」といいます。

この地縁は、土地や場所に由来する人間関係のことで出身地や育った場所、現在住んでいる地域など 地理的な要因に基づいて成立している人間関係のことをいいます。

かつての日本では、狭い区域でみんなで助け合って生きていたためお互い様、御蔭様の関係で地縁を拠り所にしていたこともあります。特に善良な名主や村長がいるところでは、安心して暮らしを行うことができました。密接な地域の繋がりによって、生命保険などに加入しなくても地縁によって見守り合う関係がありました。

しかし時代の変化と共に、価値観も変化して今では個人主義で無縁社会とも呼ばれるようになり近隣とも血縁とも疎遠になっています。都会などでは、同じマンションでもほとんど会話をしない人たちも多く、地域の集まりなども参加しない人がほとんどです。その孤独と孤立は、心の病を増加させています。

信仰においては、地域の氏神さまのある神社ではなく、遠い神社や有名な神社に参拝して地域にはいかない人も増えています。同時に、信教の自由ということで別の宗教の人たちは地域の氏神様には敢えて参拝しない人もいます。

本来、神道は宗教というよりは土地や場に対する感謝でみんなでその場所をお手入れし調えて清浄で安心な環境を維持してきた生活習慣でした。また何かの災害時の避難所としても活用され、あるいは自然を守る為の杜としても大切にされました。年中行事なども、地域の智慧や暮らしの伝承でしたがそれも人口減や負担増により行われなくなってきています。

現在は、土地も荒れ、鬱蒼とし不気味な場所になっている神社も多く誰も近寄らなくなってきました。荒れた場所には、不浄がつき纏い、犯罪や事件なども増えていきます。神社の荒廃がそのまま地域の荒廃になっています。

そもそも神社とは何かということを時代と共に再定義していく必要を感じます。時代が変化すれば、当然、価値観も変わります。本質を変えないためにも、価値観そのものの変化に気づいてどうやったらかつての本来の役割を保ちながら新たに今の人たちが地縁に喜び、自然を守り、災害の時のコミュニティになり、安心基地や安全地帯にできるかを制度や仕組みそのものから抜本的に変革させていく必要があります。

価値観というのは、ある意味思い込みと刷り込みです。自分の決めつけてしまっているその価値観をどう柔軟に変化させていくことができるか。無理に変えよといったら、しがみつくように手放さないというのもこの価値観です。

自然に価値観を変えるには、新しい価値観が楽しい、素晴らしい、学びになる、喜びとなると感じてもらうように場を創造していくことが何よりも近道です。楽しそうに取り組む人たちは主体性があり、やらされているわけでもありません。

伝統は変化しますが、それを仕方なくやらされていたらそれはもはや本来の伝統ではりません。伝統とは革新すること、常に本質を変えないために新しいことに挑戦し続けることです。それを先人たちがやってきたからこそ、今の伝統があるからです。

新しいことへの挑戦は、わくわく感やどきどき感から発生します。能動的に主体的に取り組むのは趣味のように思われますが、その楽しさこそが価値観を変化させます。

あなたのしき、あなおもしろきと、先人に倣い新たな時代の地縁に取り組んでいきたいと思います。

伝統食の智慧

昨日は、古民家和楽で長野おばあちゃんに来ていただき仙人苦楽部を行いました。この和楽は江戸時代くらいからある古民家で、土間がありむかしの風情のままに今に甦生されている場です。今回は、伝統食の智慧を学び、みんなでむかしながらの高菜漬けの漬け方を実践で取り組んだりしました。

長野おばあちゃんが産まれた頃は今から約95年前です。その頃のお話をお聴きしていると、都市と田舎の生活もまったく異なり食べ物が少なく苦労していた時代だったことがわかります。世界恐慌もはじまり、その後に戦争に突入していきます。今も少しその時の様子と似ている模様もありますが、その当時の人たちがどのように生き延びてきたか、何を食べて、何をしてきたかをお聴きできる貴重な機会になりました。

私が最も今回の体験で印象に残ったのは、むかしの調理や加工と今のものでは異なるということです。今は、物が溢れお金で何でも購入して調理加工します。自分で生産したものを調理加工することはほとんどありません。切り干し大根一つでも、今ではお店で買ってきてそこから調理します。しかし、むかしは特に田舎では都会と違って買い物するところもなく、大根を育てて収穫したものを切り干し大根にして調理していました。

先人たちはどのように生産したものを調理加工したのかとよくよく観察していたら「捨てないため」であったことがわかります。つまり旬の短いお野菜などを保存したり、傷んだところや傷がついたものも何かに使えないかと試行錯誤して調理加工をしました。そういうものは、捨てるものではなくさらに美味しいものになり宝のようにしていきました。同時に、心身にも健康でお薬のようにもなりました。

それが伝統食の智慧であるということです。

私は、和の精神の一つを「禍転じて福にする」ことだと思っています。日本人は、神話の時代から暢氣さや氣楽さを重んじてきました。どんな時でも笑い明るく元氣に和楽の世にしてきました。

そういうところから真の伝統が誕生し、どのように食べてきたかというのが伝統食と呼ばれたのです。伝統食は、単なる物体としての食ではなく、生き方としての食で私たちの先祖から代々連綿を続いてきた食べ方の智慧ということでしょう。

もったいないという精神もまた、この捨てない文化から誕生したものです。最近、断捨離など流行っていますが本来は断捨離ではなく捨てないで循環する智慧を磨くことが私たち日本人の根源にあるものだと私は思います。

これからも長野おばあちゃんがここまで結んで繋いでくださった御恩や恩徳に感謝して、丁寧に次世代へ、未来へと伝統食を磨いていきたいと思います。まずは伝統在来種の高菜から取り組めたことにも心から感謝しています。

伝承の場

今日は、仙人苦楽部で高菜漬物の伝承の場を主催します。伝承の場というのは、一期一会で伝える人と承る人の一生に一度のいのちの移し替えの場です。それまでの自分が醸成してきたいのちを、次に結んでいく場です。伝える側もその瞬間に懸け流し込みますが、承る側もその瞬間に全てをくみ取るのです。これはコップからコップへと液体を移し替えることに似ています。

その液体を受ける人は、こぼさないようにと真剣に自分のコップを持って受け止めます。一つのコップの大きさでは受け止められないときは、コップの数を増やします。器が大きければ、それだけ液体は受け止められます。小さくても、その受け止めた器の分の大切なお役目を入れることができます。小さなコップをみんなで持てばそれだけ、分散して液体を受け止められます。

その受け止めた液体は、またそこから丁寧に醸造され発酵してますます芳醇になります。それを今度は、また次の伝承者に譲り渡していくために伝承の場が必要になるのです。

むかしは家庭環境の中で、あるいは共に暮らす師弟関係の中でその伝承の場は設けられていました。そこではいのちの移し替えを、一気に行わずに少しずつ丁寧に行われていました。

今ではその機会も減り、伝承の場は猛スピード消えていきました。しかし、世の中には志を同じくする仲間がそれぞれの場で真摯にその伝承を守りたいと精進しています。その仲間たちを集め、その仲間が伝承のいのちの移し替えを行う場においてコップに液体を受け止めれる分だけ伝承されたらそこからまた液体は次の世代へと弘がっていきます。

この伝承の場は、伝承に相応しい純粋性が必要になります。それはまるで神事のような清らかさと潔さがあってこそです。

これからも受け継いできた光を、次世代へ譲り結んでいくために伝承の場を続けていきたいと思います。

いつもありがとうございます。

「ありがとう」という言葉には様々な深さがあるということを話す機会がありました。感謝の度合いと広さともいうかもしれませんが、どの領域までの感謝があるかで感謝の意味も変わってきます。

同じありがとうという言葉でも、意味が変わってくるものです。例えば、ありがとうの段階には一般的には、結果に対する感謝、行動に対する感謝、存在に対する感謝、逆境への感謝、万象への感謝があるといわれます。最初は、何かの結果にありがとうと言いますがそのうち行動してくださったこと、そして存在価値に気づいてありがとうをいいます。さらには自分に与えられた境遇に感謝し、すべてのものに感謝できるという段階です。

感謝が磨かれていくと、自分にまつわるすべてのものがありがたいものであると実感できるようになるということでしょう。これは一般的な感謝の段階ですが、実際にはこれ以外にもたくさんあります。

先人からいただいているあらゆる恩恵への感謝であったり、奇跡のようなご縁に包まれていることへの感謝であったり、あるいは感謝できることに対しての感謝であったりと、他にも色々なありがとうがあります。

私たちの会社は、口癖で「いつもありがとうございます」というのをよく使います。別に誰かが指示命令したことは一度もなく、いつからか気が付くとみんなが使っていました。またありがとうの機会が多く、他の会社やインターンの人たちからもありがとうをよく使っていると指摘されることがあります。

これはきっと「讃給」といって私たちの会社では毎月、みんなに御礼と手紙を書く文化があるからではないかと思います。そのことに由って、感謝が磨かれ自然にいつも有難いと思うようになったように思います。

このありがとうや有難いという感覚は、そのまま幸福度に直結しています。仕合せとは、有難いということに尽きるということでしょう。

最後に、私が好きな西行の言葉です。

「何事の おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」

感謝にも境地の体得というものがあります。遊行を通じてどのような体験をしたのかはわかりませんが、偉大な大勢の見守りに感謝できる自分でいたいと思います。

場道家

世の中には、学者と呼ばれる人、専門家と呼ばれる人、研究者と呼ばれる人それぞれに様々です。これは世間の評価軸の一つで、これで職種が振り分けられています。そのどれもに精通して一体になってしまうことや、分けようがない分野にまで到達している人のことを世間は奇人変人と呼んだりもします。

おかしな話で、整理できないものはすべて「変」で済まされてしまうのです。よく私も変人と呼ばれますが、そんなに悪い意味で使われている感じではありません。色々と広い分野から狭い分野、それに自分で人体実験までするので変人になったのかもしれません。

人の人生は、周囲の呼ばれ方で変わっていきます。私の場合は、若い時は、何かやりそうな人や、熱い人と呼ばれていました。そこからリーダーや経営者、教育者と呼ばれたり、その後は博士や炭オタク、アーティストと呼ばれ、今では変人や修行者、求道者などと呼ばれます。

そう考えると、本人には関係ないところで様々な呼び名をつけられて周囲がわかりやすいように分類されているのです。一つの道を歩んでいくなかで、その時々に歩んでいる場所で呼び名も変わるのでしょう。

しかし実際にこれを深めていると、本当は目的が何かを聴けばその人の本質はわかるものです。何をしようとする人なのか、何のためにやっているのかを確認すればその人の本当の正体がわかるのです。

世間から偉い人や分かりやすい人に分類されるのは、仕事をする上では便利なものです。こういう人と決めてしまうことで、世間は安心したいのでしょう。例えば、医者であれば医者の国家資格があれば医者になります。しかし世の中には、国家資格をもっていなくても伝統医療をはじめ、その人にもって生まれた才覚や先人たちの叡智や伝承されたもので人を治す医者もいます。それに医者にも、大医、中医、小医というように大医のように国家や人々、社会を治す医者も指します。

きっとこの大医も、最初は臨床で目の前の人を助けることからはじまり、それが研究や実践を積み、専門的な知識も増え、問題の本質に気づき、その結果、国家や世界を治療するようなことをはじめていったように思います。

つまりは、目的に対して道を真摯に追及していけば自ずから一つの場に辿り着くということです。それで私は「場道家」という肩書にしてしまいあとは何もないという具合に表現しています。

最終的には、道は場に宿るのだからその場を感じることで理解する。それでいいとしたのです。

便利な肩書はその都度これからも変化します。本人はどうかは別として周囲の価値観や世間のモノサシでいくらでも分類されるのでしょう。

子どもたちのためにも、自分らしく自分らしい道を拓いて少しでも人としての徳、自然あるがままでいることの大切さを伝道していきたいと思います。

和の徳

能力主義というものがあります。これは人を能力というモノサシでその価値を判断するということです。特にこの数十年は、その価値観が優先されるような環境や教育を受けてきました。

能力があれば必要とされ、能力がなければ不必要とされている世の中のことを能力主義と呼ばれます。例えば、会社などはその最たるもので能力だけで採用不採用を決めます。確かに一つの判断としては能力が必要ですが、能力は本来は全体の個性やその人の持ち味の一部分でしかありません。それを能力だけに偏った判断をすると、その能力の代替え機能としてのロボットやAIなどが出てくれば不必要ということになるのでしょう。

本来は、能力というもの以外の方がたくさんの価値がその人に存在するものです。ある人は、空気を和ませたり、ある人は人と人と結んだり、またある人は豊かな心を膨らませたり、ピンチに強かったり、応援や勇気に結ばれる存在だったりと多種多様です。

本来の多様性は、能力の中にあるのではなく個性や持ち味の中にあります。そしてその個性を発揮するのも持ち味を活かすのもそれは生き方が決めていくものです。大切なのは、どのような生き方をしてきたか、あるいはどのような生き方をこれから一緒に目指していくかということが大切だと私は思います。

能力によって人を裁けば自分に帰ってきます。それは自分が老人になり機能が低下していけばそのうち能力は失われていくように、できることは必ずいつかできなくなるのです。

できるかできないか、能力があるかないかではなく、存在そのものの善さ、それを私は「徳」と呼びますがそういうものをみんなで伸ばし活かそうとする方が社會や環境や教育のうえでは最も大切ではないかと感じます。

そのためにも、自分がどのような見方をしているか、そして能力も一つとしてそれ以外の生き方をどれだけみんなと分かち合ったかということを顧みて、お互いの存在を尊敬し感謝しあえるように実践していきたいと思います。

子どもたちにお互いが尊重しあう和の心を伝承していきたいと思います。

今を磨く、謙虚を知る

カグヤでは3月11日には、「大切なことを忘れないDAY」としてみんなで東日本大震災の犠牲者の方々への黙とうや振り返り、その後から今までの経過を観察したことからの気づきなどを学ぶために一日を過ごします。

あの日、あの時、私たちは東京で被災し大きな衝撃を受けました。自然からの警告を真摯に受け止め、生き方と働き方を見直す大切な機会になりました。そしてその後の原発事故で如何に人災が恐ろしいかという人間の悍ましさを実感しました。その反省からこの日を設け、自分たちが体験したことを忘れず後世の子どもたちが正しく怖れ、いのちを守れるようにと実践を増やしてきて今があります。

例えば、自然災害においては先人の智慧がたくさんあります。それは「備えあれば患いなし」という諺や「禍転じて福になる」や「直観は間違わない、判断が間違うのである」など色々とあります。謙虚に自然への畏敬を忘れずに、最善を盡していけば不思議ですが自然が全体調和の中で私たち人類のことも見守ってくれています。

しかし人災はそうはいかず、如何に日々に自分に打ち克っていくか、己の我欲を慎み自他一体に全体最適であるように協力し和合しあっていくかが問われます。これは守られているかどうかの話ではなく、自分の問題をそれぞれが自律し自立して取り組んでいくかありません。

人災は、目先の損得や既得権益、感謝を忘れ足るを知らない暮らしから蔓延ってきます。洗脳されるような環境下にあれば、それを自然だと勘違いして思考停止してしまいます。そうならないように、日々の暮らしを見つめ直し丁寧に初心や目的、原点を見つめ続けて生きていく必要があります。

そもそも防災という言葉は、「未然に災害を防ぐ」という意味です。それが災害があった時にどうするかになっていますが、本来は病気の未病と同様に発生してからでは手遅れになるから先に防ぐために実践していこうとするものです。

現在では、防災も治療もすべて事後のことについてばかりが注目されます。具体的にわかりやすく、そしてお金になるからです。しかし本来の防災や治療は災害の前に決着がついています。もちろん、怪我や事故などは対処療法が必要な時もありますが数万人や数十万人が一度に被災すれば対処できることはありません。

だからこそ、そうならないように日頃から未然に防ぐために訓練し、実践し、あるいは暮らしを換えていくのです。災害時であろうがなかろうが、発酵食品などをつくり保存食を食べ、自然の中に入り食料を生産し生きていれば災害時でもたくさんの人たちを救う場がつくれます。

自分だけが生き残ろうではなく、まずは自分がその状態を確立してそのあとに周囲をたくさん助けようとすることが大切なことだと私は思います。これは防災の鉄則の一つ、自分のいのちを守ってから人のいのちを救うということと同じです。共倒れや道連れにするような救援はありません。

人間は、のど元過ぎれば熱さ忘れるようにすぐに何でも忘れてしまいます。それがいのちを守る大切なことであってもです。だからこそ、定期的に忘れないための時間を設け、みんなで新鮮さが失われないように工夫していくことが必要です。

未来の子どもたちに私たちの体験がお役に立てるように、真摯に今を磨いていきたいと思います。