カグヤでは3月11日には、「大切なことを忘れないDAY」としてみんなで東日本大震災の犠牲者の方々への黙とうや振り返り、その後から今までの経過を観察したことからの気づきなどを学ぶために一日を過ごします。
あの日、あの時、私たちは東京で被災し大きな衝撃を受けました。自然からの警告を真摯に受け止め、生き方と働き方を見直す大切な機会になりました。そしてその後の原発事故で如何に人災が恐ろしいかという人間の悍ましさを実感しました。その反省からこの日を設け、自分たちが体験したことを忘れず後世の子どもたちが正しく怖れ、いのちを守れるようにと実践を増やしてきて今があります。
例えば、自然災害においては先人の智慧がたくさんあります。それは「備えあれば患いなし」という諺や「禍転じて福になる」や「直観は間違わない、判断が間違うのである」など色々とあります。謙虚に自然への畏敬を忘れずに、最善を盡していけば不思議ですが自然が全体調和の中で私たち人類のことも見守ってくれています。
しかし人災はそうはいかず、如何に日々に自分に打ち克っていくか、己の我欲を慎み自他一体に全体最適であるように協力し和合しあっていくかが問われます。これは守られているかどうかの話ではなく、自分の問題をそれぞれが自律し自立して取り組んでいくかありません。
人災は、目先の損得や既得権益、感謝を忘れ足るを知らない暮らしから蔓延ってきます。洗脳されるような環境下にあれば、それを自然だと勘違いして思考停止してしまいます。そうならないように、日々の暮らしを見つめ直し丁寧に初心や目的、原点を見つめ続けて生きていく必要があります。
そもそも防災という言葉は、「未然に災害を防ぐ」という意味です。それが災害があった時にどうするかになっていますが、本来は病気の未病と同様に発生してからでは手遅れになるから先に防ぐために実践していこうとするものです。
現在では、防災も治療もすべて事後のことについてばかりが注目されます。具体的にわかりやすく、そしてお金になるからです。しかし本来の防災や治療は災害の前に決着がついています。もちろん、怪我や事故などは対処療法が必要な時もありますが数万人や数十万人が一度に被災すれば対処できることはありません。
だからこそ、そうならないように日頃から未然に防ぐために訓練し、実践し、あるいは暮らしを換えていくのです。災害時であろうがなかろうが、発酵食品などをつくり保存食を食べ、自然の中に入り食料を生産し生きていれば災害時でもたくさんの人たちを救う場がつくれます。
自分だけが生き残ろうではなく、まずは自分がその状態を確立してそのあとに周囲をたくさん助けようとすることが大切なことだと私は思います。これは防災の鉄則の一つ、自分のいのちを守ってから人のいのちを救うということと同じです。共倒れや道連れにするような救援はありません。
人間は、のど元過ぎれば熱さ忘れるようにすぐに何でも忘れてしまいます。それがいのちを守る大切なことであってもです。だからこそ、定期的に忘れないための時間を設け、みんなで新鮮さが失われないように工夫していくことが必要です。
未来の子どもたちに私たちの体験がお役に立てるように、真摯に今を磨いていきたいと思います。