能力主義というものがあります。これは人を能力というモノサシでその価値を判断するということです。特にこの数十年は、その価値観が優先されるような環境や教育を受けてきました。
能力があれば必要とされ、能力がなければ不必要とされている世の中のことを能力主義と呼ばれます。例えば、会社などはその最たるもので能力だけで採用不採用を決めます。確かに一つの判断としては能力が必要ですが、能力は本来は全体の個性やその人の持ち味の一部分でしかありません。それを能力だけに偏った判断をすると、その能力の代替え機能としてのロボットやAIなどが出てくれば不必要ということになるのでしょう。
本来は、能力というもの以外の方がたくさんの価値がその人に存在するものです。ある人は、空気を和ませたり、ある人は人と人と結んだり、またある人は豊かな心を膨らませたり、ピンチに強かったり、応援や勇気に結ばれる存在だったりと多種多様です。
本来の多様性は、能力の中にあるのではなく個性や持ち味の中にあります。そしてその個性を発揮するのも持ち味を活かすのもそれは生き方が決めていくものです。大切なのは、どのような生き方をしてきたか、あるいはどのような生き方をこれから一緒に目指していくかということが大切だと私は思います。
能力によって人を裁けば自分に帰ってきます。それは自分が老人になり機能が低下していけばそのうち能力は失われていくように、できることは必ずいつかできなくなるのです。
できるかできないか、能力があるかないかではなく、存在そのものの善さ、それを私は「徳」と呼びますがそういうものをみんなで伸ばし活かそうとする方が社會や環境や教育のうえでは最も大切ではないかと感じます。
そのためにも、自分がどのような見方をしているか、そして能力も一つとしてそれ以外の生き方をどれだけみんなと分かち合ったかということを顧みて、お互いの存在を尊敬し感謝しあえるように実践していきたいと思います。
子どもたちにお互いが尊重しあう和の心を伝承していきたいと思います。