古来から日本には、「ことほぎ」という文化がありました。漢字では「寿ぎ」や「言祝ぎ」とも書きます。もともとこの言葉の意味は、祝いの言葉を述べて祝福するという意味です。
言葉は言霊ともいい、むかしから呪力があるものとして大切にされてきました。例えば、日頃の自分の使っている言霊によって現実も変化するということです。自分の状態が言葉になったのか、それとも言葉によってその状態になったのか。よく考えてみると、この前後関係や表裏関係はどちらが先でどちらが後かもよくわかりません。
言霊というのは、自己一体になって発されるものでさらに言えば、全体と一体になって発しているものであるともいえます。言霊を発しながら、その言霊によって自己の運命が導かれていくともいえます。
毎日、自分がどのような言霊を発したか。それをよくよく観察すると、自分の今がどのような状態であり、それが過去にどうで未来がどうなるかも洞察することもできます。
特に、今の言葉を省みると過去をどのように過ごしてきたかがわかります。またその発した言葉がどれだけ遠くの光を観つめて発したのかということもわかります。言葉は、まるで生き物のように自分と一緒一体になってこの世に生き続けています。そして死語においても、その人の言霊は生前と変わらずに力を持ち続けていきます。
私は座右の銘や、大切にしている信条をいつも身近に置いています。事あるごとその文字や言葉が目に入り自分の力の源泉になっています。これは理念然り、初心然り、いつも身近で見守る大切な言葉として共に生きています。
言葉は、その人がどのように用いるかでまったく威力が変わります。ある人は、心から応援する言葉を発し、ある人は、脅したり怖がらせたりする言葉を使い、またある人は、思いやりや癒しの言葉を発します。
それはその人の内側の生きざまや生き方から発されるものであり、常に言葉は魂のように暮らしの中で醸成され子どもが育つように共に成長を已みません。
何かを信じるというのは、先にそうなっているようにイメージするということでもあります。これを日本では予祝ともいい、言葉を先にして現実を受け容れていきました。たとえ現状が苦しくても、言葉までは力を失わないようにしたいとことほぎをしていたように私は思います。
これはニコニコ顔で命懸けということでしょう。それだけ生きる覚悟を持って暮らしを営んでいたともいえます。
先人たちの生き様や生き方は、言霊の中に宿っています。丁寧に甦生して、この先の子孫たちがその恩恵を受けられるように結んでいきたいと思います。