昨日は、宿坊周りと参道の掃き掃除をしましたがあまりにも落ち葉の多さに一日かかっても終わりませんでした。不思議ですが、宿坊の周辺の掃き掃除をしているはずがまるで山全体の掃き掃除をしているような感覚になります。
掃いても掃いても落ち葉はあり、掃けば掃くほどに他の落ち葉が気になります。落ち葉は、そのままにしていると川の流れに影響が出たりあるいは道が乱れたり虫が大量に増えたりもします。滑って転ぶのもよくないので、人が歩くところのものは取り除いていきます。強風に吹かれると、排水溝に落ちてしまうと石垣が壊れたりもします。
むかしは、まだ周辺に宿坊があったのでみんなで家族で掃除して綺麗にしていたのでしょうがほぼ一人でこれをやるとなると大変な時間がかかります。
人手が多いと、協力しあってやっているうちに綺麗になります。一人でするとなると、終わりが見えないほどの量になります。自然が豊かであるというのは、それだけ調和があるということです。
本来は人もまた自然の調和の一員でした。その調和を乱さないように、宿坊周辺をそれぞれで調えていたのです。
現代は人の手入れが入らないと、宿坊周辺も壊れてきています。建物は最初に壊れますが、それ以外の石積みをはじめ排水路、階段、道も壊れます。これは壊れたと見えますが、実際には自然が調和しようとしたのです。
先ほどの落ち葉も本来は自然の調和から発生するものです。しかしそこに人が住むのだから私たちも調和の一員としてしっかりと循環の中に入って貢献しあう関係を結んでいくしかありません。それが調和の素晴らしさであり醍醐味だからです。
人間が協力し合うのは、調和の大切な徳目であり自然循環の仕組みの一つです。
宿坊での活動が、英彦山での調和を育めるように丁寧に掃き掃除を続けていきたいと思います。