桜から学び直す

桜の花があちこちで満開です。私は英彦山の守静坊のしだれ桜に出会ってから野生種の山桜の魅力に魅了されていますが世の中ではソメイヨシノの桜の方が圧倒的な数で存在しています。

このソメイヨシノは、江戸の末期に奈良の吉野桜のように美しいものになってほしいとの願いをこめて東京の染井村(豊島区駒込)で開発された接ぎ木の桜です。その染井村の吉野桜という言葉の組み合わせでソメイヨシノになったそうです。現在では、遺伝子の研究を通してエドヒガンとオオシマザクラの雑種が交雑してできた単一の樹を始源とする栽培品種の クローン であることがわかっています。

クローン桜なので、ソメイヨシノの寿命は60年くらいといわれていてまた植え替える必要があります。明治時代前の桜といえば、山桜でしたがそのあとはこのソメイヨシノになっています。なので俳句や和歌なども、むかしの人たちはソメイヨシノで詠んだものではありません。

いにしえの人たちは今のソメイヨシノが満開に咲く姿を観てどのように感じるでしょうか。今ではソメイヨシノは、川の堤防沿いなどに植えられています。これも江戸時代からはじまったものだといわれます。その理由は人がたくさん集まることで、土手が固められます。なので桜をたくさん植えれば人が集まり踏み固めてくれるからという工夫もあったそうです。

実際には、宿坊のしだれ桜は人が踏み固めないようなところに植えられています。土がフカフカである方が、木が元氣になります。大樹や古樹にとっては、土を固められることを嫌います。

どこからが人工的でどこまでが自然かというのは、自然への尊重次第で変わります。私たちは色々と観光やお金儲けのために、自然を人工的に操作していきます。しかし、本来は自然を尊重してこそ自然本来の循環の美しさや尊さがあります。

時代の中で何が変わり何が変わらないのか。

桜の木と共に、歴史と人の関係を学び直していきたいと思います。

大和魂の一日

49歳の誕生日を迎え、なぜか織田信長の好んだ幸若舞の「敦盛」を思い出しました。この敦盛とは、源平合戦で源義経と戦った平家の平清盛の弟、平経盛の末子、平敦盛のことでです。

この平敦盛を、源氏の熊谷直実が討ち取ったときの様子が物語として語られているものです。

その中の一文に、「人間五十年、化天の内を比ぶれば、夢幻のごとくなり。 一度生を受け、滅せぬ物のあるべきか 。 これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ」という言葉が出てきます。

これは人生は五十年の寿命であると勘違いされていることがありますが、実際にはそうではなく天界の一日と比べて人間(じんかん)は五十年が一日であるという意味です。天界のひとつである「化天」という世界は、一昼夜が人間界の800年にあたり、化天住人の定命は8000歳とされているからです。それだけ人間の一生は儚いものだということの表現でもあります。

信長はこの幸若舞の敦盛を舞、桶狭間の戦いに出陣したといわれています。どのような心境で舞っていたのか。それを思うと無常観や覚悟を感じるものです。

元々この平敦盛は、まだ16歳の若さで熊谷直実に討ち取られました。熊谷直実も同じ歳の息子がいて目の前の息子と同じ年齢の敦盛を討ち取るのに非情に徹しました。しかし、それを悔い、その後出家し弔いをし続けたといいます。

戦国の世のならいというものがあります。時代的に仕方がないと言えども、息子と同じ年の若者を討ち取るというのは、まるで息子を自ら殺めるほどの苦しさだったのでしょう。死は一度、名は永遠と名乗りをあげては無情にも亡くなっていくけれど情厚き故に割り切れない思いがあるという姿に私は人間らしさを感じます。

人間というのは、一日一生、一期一会ですがそこに永遠があります。

諸行無常とはいうものの、巡り合わせの運命に嘆き、それでも仕方がなく往かねばならないこともあります。已むに已まれないとき、死を覚悟して前進する勇気。その時、人が拠り所にするのはやはり「人間性」ということではないかと私は思います。

人間らしさを失っていく、現代のお金中心の物質文明においては戦国の世よりも悲惨で無残な心情を感じることが多々あります。人間がただの殺戮マシーンのようにならないようにするには、常に人間らしい暮らしを通して人格を磨き徳を積む精進が必要です。

生き方や生きざまというのは、いつまでも記憶に刻まれて後世に遺ります。

何を大切にして生きていくか、何を最も優先して自分を生き切るか。

誕生日は、常に自己を試される内省の一日です。

残りの人生、夢幻であろうとも覚悟をもった大和魂の一日を歩んでいきたいと思います。