桜の花があちこちで満開です。私は英彦山の守静坊のしだれ桜に出会ってから野生種の山桜の魅力に魅了されていますが世の中ではソメイヨシノの桜の方が圧倒的な数で存在しています。
このソメイヨシノは、江戸の末期に奈良の吉野桜のように美しいものになってほしいとの願いをこめて東京の染井村(豊島区駒込)で開発された接ぎ木の桜です。その染井村の吉野桜という言葉の組み合わせでソメイヨシノになったそうです。現在では、遺伝子の研究を通してエドヒガンとオオシマザクラの雑種が交雑してできた単一の樹を始源とする栽培品種の クローン であることがわかっています。
クローン桜なので、ソメイヨシノの寿命は60年くらいといわれていてまた植え替える必要があります。明治時代前の桜といえば、山桜でしたがそのあとはこのソメイヨシノになっています。なので俳句や和歌なども、むかしの人たちはソメイヨシノで詠んだものではありません。
いにしえの人たちは今のソメイヨシノが満開に咲く姿を観てどのように感じるでしょうか。今ではソメイヨシノは、川の堤防沿いなどに植えられています。これも江戸時代からはじまったものだといわれます。その理由は人がたくさん集まることで、土手が固められます。なので桜をたくさん植えれば人が集まり踏み固めてくれるからという工夫もあったそうです。
実際には、宿坊のしだれ桜は人が踏み固めないようなところに植えられています。土がフカフカである方が、木が元氣になります。大樹や古樹にとっては、土を固められることを嫌います。
どこからが人工的でどこまでが自然かというのは、自然への尊重次第で変わります。私たちは色々と観光やお金儲けのために、自然を人工的に操作していきます。しかし、本来は自然を尊重してこそ自然本来の循環の美しさや尊さがあります。
時代の中で何が変わり何が変わらないのか。
桜の木と共に、歴史と人の関係を学び直していきたいと思います。