驚覚(きょうがく)という言葉があります。これは文字通り、驚き目覚めることをいいます。何に驚き、何に目覚めるのか。法螺貝の波動や音にはこの驚覚の徳があるとメンターにお聴きしたことがあります。
この覚という字は、「覚る(さとる)」ともいいます。覚るというのは、世間一般的に定義されているのは煩悩から目が覚めるということです。この煩悩とは、身心を乱し悩ませ智慧を妨げたりする穢れや濁りのようなものをいいます。この煩の字は、物事が多すぎて煩わしいという意味になります。脳は、頭の働きのことです。簡単に言えば、頭で考えることが多すぎて煩わしいということでしょうか。
そのことから、人間は目覚めていないということです。つまり目覚めるというのは、煩悩から開放されることをいいます。それを解脱という言い方もします。穢れや濁りが洗い流され清浄になるという具合でしょうか。
法螺貝を吹いていると、この驚覚という感覚を特に深く味わうことができるものです。音の出す波動が、耳や肌、骨などに染み入りします。特に振動する波長は、眠っている感覚を呼び戻します。
何かの機会にその人のために祈り法螺貝の音を背中から通すと身体が熱くなって痺れる感覚になったとよく言われ喜ばれます。これはこの驚覚を感じて、心身が調い感覚が働きだしたということかもしれません。
日頃、頭でっかちな生活の中で日々に忙しさに追われていると感覚は確実に閉じていきます。感覚の中にこそ、真の喜びがあり仕合せもあります。そして自分の感覚に目覚めると、それまでの悩みは浄化されていくことがほとんどです。
ありもしないことを悩み、今を生きることができなくなっていきます。目覚めというのは、今ここの感覚に目覚めるということでもあります。
法螺貝の音は、三界の天衆を驚かし六道の妄夢を覚ます。そしてその音は獅子の吼えるようであるといわれます。獅子とは百獣の王のことで、その声を聞く時一切の魔物は消滅し、煩悩も吹き飛ぶと信じられてきました。
伝説の立螺師の本間龍演氏は法螺貝を立てるときにこう真言を唱えていたといいます。
三昧法螺声 一乗妙法説
経耳滅煩悩 当入阿字門
かるがゆえに金剛三昧の螺を吹いて、悪魔降伏の威を奮い
声字実相の音を立てて、内性心蓮の尊を驚かす
ゆえに長眠是を聞いて驚愕し、永夜是によって忽ちにして醒る
一切諸魔離退散
降伏諸魔宿伏者
遍至三千大世界
ノウマクサンマンダ ボダナン アン
まだまだわからないことが多い法螺道ですが、初心を忘れずに精進していきます。