御祭りを深めていますが、そもそも日本人の和の精神とは何か、和を実践するとは何か、そこから考えてみると改めて御祭りの本質が観えてくるように思います。
和というものは、言い換えるのなら「むすび」のことです。出雲大社の注連縄のように、一本一本が強く結びつき束になることで強固な絆が産まれます。何を大切にして生きていけばいいか、それは親祖の時から私たちに神社の姿として伝承されてきています。
稲作を通して、稲作の行事の在り方を学び、そこから顕れてくる様々なプロセスを伝承の仕組みにしていたのが先祖の智慧です。もっとも食べる主食は私達には欠かせず、それをどのように見守り育ちそして収穫し感謝するかはその一連の流れを通して私たちの魂に呼び覚まされ維持されてきたものです。
今では生活が一変し、生活が消失して暮らしから遠ざかり只管に労働することばかりが優先されて社會そのものがなくなってきています。
本来、社會とは結びつきによって存在するものです。その結びつきとは古来からの「むすび」のことで、結束のことです。結束していくことで社會が強く優しくなり安心して暮らしていける風土が醸成されていきます。
何よりもその風土を守っていくことが、私たちの先祖たちが人類に戒めたことでありその風土を破壊してしまうバラバラが結束を崩していきます。それぞれが我儘にバラバラになったら人類はとても弱く自然界では生きていけません。そういうことがないようにと、様々な暮らしを通して私たちが結束を確認することを行っていたのです。
御祭りも同じで、結束を確認し、結束を強くするために使われてきた伝統行事です。伝統というものは、理念であり初心のことです。それを継続することで継承するのが私たち子孫の姿です。
御祭りが続いていくというのは、御祭りの本質を守り続けていくということです。今の時代のように単なるお祭り騒ぎやイベントを御祭りにしていてもそれは結束を強くするものではなく娯楽の域を超えません。
大事なことは何のためにそれが行われるのかを忘れないことです。改めて継続しているからこそ、初心を忘れずに本来の目的を見落とさないように大切に改善を続けていきたいと思います。すべての行事は神事であり、私たちは先祖と一緒に結ばれていますからそのままの真心を大切に紡いでいきたいと思います。
御祭りに御先祖様と風土をお祈りしたいと思います。
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「むすび」には、時間的・歴史的な「縦のむすび」と、同時代に生きる「横のむすび」、そして「天地人のむすび」があります。それらの歴史がひとつの「風土」と化して、受け継がれ引き継がれていくのでしょう。「風土」とは、人生の喜びを増し、暮らしの苦しみや悲しみを和らげ乗り越えるための、先人たちの智慧の結晶でもあります。安易に引き戻され同じ過ちを繰り返さないように、その智慧を更に磨きながら伝え続けることこそが、後世の人たちへの愛の実践なのではないでしょうか。
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ほんの少し畑仕事をするだけでも、あの広さを一人でやろうと思うと心が折れそうになります。日頃の関係がなければお互い助け合おうとはならず、自然の恵み、豊穣感謝、繰り返し培ってきた人の在り方のようなものも感じます。日々の中から結束を高めていけるよう、自分から動いていきたいと思います。
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変な話のように聞こえてしまいがちですが、やはり稲を育てる心と子どもを育てる心は同じだったのではないかと思います。育てると言うよりは育つと信じて寄り添い、育ってくれたことにありがたいと思えること。子どもの育ちよりも稲の方がサイクルは短く、子どもの頃からその感覚を養っていた昔の親は、そもそもが見守るだったのかもしれません。体験から気づいていきたいと思います。
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人生を飾ったり彩りとして取り組むのではなく、生き方に昇華することが大切だと感じます。生き方は日々に現れます。飾って見栄えよくするよりも、削って本質になるような生き方をして行きたいと思います。