人間関係には、傷つけあう中で理解していくものもあるように思います。なぜ自分がと思うようなことでも、実は見えないところで知らないうちに自分が相手を傷つけてしまっていることがあります。
後になってみれば、そして理由を聞いてみると自分が相手を傷つけたことを知り深く反省することがあります。お互いに悪気がなくても、受け止め方は本人次第ですからその言葉によって傷つくこともあります。
だからこそ思いやりを欠かさずに耳を傾ける努力が必要であると改めて感じます。聴福人を目指している以上、未熟な自分を責めるのではなくもっと思いやりや真心で接する人になるために努力したいと思うのです。いくら義憤があったにせよ、自分の正論や正義によって相手を説得しようと思うところには思いやりはありません。
正しいことは実践ですればいいことで、正義を武器にしてはならないと感じます。かの坂本龍馬にこういう言葉が遺っています。
「相手を説得する場合、激しい言葉をつかってはならぬ。結局は恨まれるだけで物事が成就できない。」
幕末でみんなが日本のためにと義憤を思いぶつかり合う中で、あの薩長同盟を実現させた坂本龍馬はこのことがわかっていたのかもしれません。お互いの持ち味を活かしていくためにも、ぶつかり合うのではなく同じ方向を向いて語り合って仲良く和していこうとする互譲関係を築くことがあって大きな力を纏めていきました。
また坂本龍馬はこうも言います。
「俺は議論はしない、議論に勝っても、人の生き方は変えられぬ。」
正論を通し議論することに意味はなく、そんなことをしたからと人の生き方は変わりません。だからこそ、自分がどうあるべきかと考えなければならないのです。
最後に同時代に生きた吉田松陰先生の言葉にそのヒントがあります。
「自分の価値観で人を責めない。一つの失敗で全て否定しない。長所を見て短所を見ない。心を見て結果を見ない。そうすれば人は必ず集まってくる。」
自分が先に理解しようとし、自分が先に尊敬し、先に得意を認めて助けてもらえればそこには敵は生じません。本当にやりたいことがあるのなら、自分の価値観からくる主義主張などたいしたものではなく、それを通すよりも謙虚に反省し続けて感謝に転換してまるごと認めていく方が楽しいように思います。
恩返しの道はまだはじまったばかり、自分が何を反省し何を学ばなければならないのかを改めて感じました。引き続き、雑にならず丁寧に初心を貫いていきたいと思います。
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対話は「キャッチボール」に例えられますが、その本質は、適切な距離で、相手が受け取りやすいように思いやって投げ、相手の思いを素直に受け取り、丁寧に投げ返すことです。そこに「勝ち負け」を持ち込むと、「ドッジボール」のように投げつけることになってしまいます。結論の勝負ではなく、敬意を持ち合って、心のキャッチボールを味わいたいと思います。
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責められていると感じると、自分を守ろうとどんどん壁をつくってします。ただ、その壁は孤立するものにもなってしまうと思うと、理解し合う大切さを感じます。年代も育ちも様々な人との関わりが増えているからこそ、自分の価値観が正しいと思わず、丁寧に関わっていきたいと思います。
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お互いの価値観や正義で向き合い争うのではなく、お互いに理念をみて同じ方向を向いて協力し合うということの大切さを改めて感じます。もともと和の民族であった誇りを信じ、向き合いそうになった時は自分が刷り込まれていることを思い出し、原点である理念や初心からいつも自分の生き方のブレを正していきたいと思います。
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自分の価値観で人を責めない。1つの失敗で全てを否定しない。長所を見て短所を見ない。心を見て結果を見ない。全ての言葉が自分に対する大切な教えだと感じました。そういう人間でありたいと強く思います。自分の価値観で人を責めるというのは、子どもに対しても家族に対しても、とても難しいと感じます。人ではなく、自分を振り返ることを大切にしていきたいと思います。