人の視野には世界を見る自分と、世界から観える自分というものがあります。自分から見ている世界を世界と思うものですが、それでは見える世界が広くて大きい人の世界とそうではない人の見ている世界は同じ景色を見ていても異なってきます。
さらに世界から観える自分とは、単に客観的に世界の方を主としてみ見るだけではなく自分の見えていない何かがあると自分の思ってもいなかった出来事を感じてその御蔭様のようなつながりやご縁、見えない存在を観ている自分というものがあります。
人は自分の見ている世界だけになると、TODOリストのようなものを用い目標を計画通りに進めたことを最上と思ってしまいます。幼いころより、学校で目標管理をしてそれを実現すれば夢が叶うと信じ込んでくればそのリストを予定通り塗りつぶしていくことが自己実現だと思ってしまいます。
しかし自己実現が自分の欲を中心になって組み立てられたものであればそれは単に自己満足になってしまいます。自己満足は常に不満を生み出しますから、その不満が積りイライラにいつも苛まれてしまうものです。
本来、自己実現とは利他実現のようなものです。それは我欲ではないところ、大志や理想、全体が自分を活かしてくれていると実感するときに得られる感覚です。世界の中で自分が多くの人たちのお役に立っていると実感するとき、感謝の心が湧いてきます。
そのように自分自身がどのような生き方を選んでいるかで、自分勝手な人か、思いやりの人かが異なってくるのでしょう。この生き方というのは、それまでの自分が身に着けてきた価値観ともいえます。その価値観を変換するには、いままでとは異なる選択を連続してみなければなりません。それは小さな一歩を踏み出し、日々の一歩を大切に内省し繰り返し実行することであるとき、突然にパッと入れ替わります。
そのためには毎回、今までとは異なる方へと足を運ぼうと、今までの先入観や固定概念に縛られないような選択肢を持つ訓練をすることです。
利他実現であれば、みんなのことを考えてもっとも役に立つ選択をしようと決めたり、敢えて誰かのために苦労する方を取ろうと決めたり、周りが喜ぶように自分を活かそうと決めたり、みんなの安心基地になろうとオープンになったりと、自分というものに囚われず、見えない世界や御蔭様の世界の方に自分を置いていこうとすることで我欲を見つめていくことのように思います。
そして自分の今までと似て非なる尊敬する生き方の人と出会ったなら、その人の生き方を真似し、その人から生き方を学び取り、その人と同じような判断や選択、決断ができるような自分になって近づこうとすることが必要だと思います。
人間は如何に自分のそれまでの価値観を毀し、新しい自分に日々に出会っていくか、それによって自分を一段、さらにもう一段と高いところへと育てあげていくことができるものです。
だからこそ、今までの自分の価値観を疑い、観たことのない価値観を楽しみ味わっていこうといった学問の醍醐味、自分を好きになる努力、感謝や御蔭様を感じながら歩んでいく日々の有難さをもって成長していきたいものです。
引き続き、価値観を毀しながら新たな冒険の日々を子どもと一緒に歩んでいきたいと思います。
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人は、いろんな世界を見ているようでいて、実際には、自分の関心のある世界しか見えていません。したがって、その関心のある狭い世界で目指す「自己実現」は、とても小さな世界です。強い「関心」はやがて「責任」になり、そこをさらに追求すると「愛」に変わると言われます。結局、小さな関心領域で生きるのは、小さな愛の世界でしか生きられないということです。未だ見えていない世界、気づいていない世界にもっと目を向けられるようでありたいと思います。
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小学生の頃、将来は学校の先生になりたいと思っていました。それは、子どもに関わる仕事をしたいと思っていたからですが、その後高校、大学で抽象的だったものが動いた分、具体的になり、想いは変わらず近づいていく面白さを感じました。進んでいったら今に至るという感覚ですが、あくまでも自分から見る世界であり、世界から観るというのはなかったように思います。新しい風を実感したからこそ、自分自身が変化していくことを恐れず歩んでいきたいと思います。
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昨日の園の訪問でも、ワークショップを通して視点の変わるような体験をしたり、一円対話の気づきの共有から自分では気づけないような学びが多くあったように思います。一人では難しいものも一緒に体験を通して学び合っていくことで目指すものに近づいていく、そんな感覚をご縁ある方々と一緒に大切にしていきたいと思います。
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毎年お盆を迎えていますが、同じ感覚でお盆を迎えている実感がありません。カグヤでの体験、人生での体験が、価値観や視点を常に刷新して下さっているのだと感じます。今年のお盆もまた、新たな感覚、新たな挑戦の日々だと感じます。同じ一年が来ないということはとても日々が充実しているということ。その有難さをしっかりと味わい、今年は今年のお盆を過ごしていきたいと思います。