自由というものを深めていると創造や独創という言葉を直観するものです。つまりは一人ひとりは天才であり、その天才が自分自身を発掘するプロセスにおいて自分なりの方法で自分らしい答えを創出していくということです。
とことんまで天命を追求していけば、自分にしかできないことに人間は出会えるものです。そのうえで、自分の実体験から考えたことはすべて独創的で創造的なものですからそのプロセスを重んじることで人生は唯一無二の自分自身に近づいていくように思います。
自由という言葉は、そもそも誰とも比較しないという前提があります。似ている言葉では私の解釈ですが、独立不羈なども同義であろうと思います。これは辞書をひけば「他からの束縛を全く受けないこと。 他から制御されることなく、みずからの考えで事を行うこと。」とあります。その本質は「自らものを考え、それを行動に移し、移した行動については自ら責任を持つ。それが、独立不羈の精神」です。
本来の自由の意味をどれだけ深く理解しているか、そのためには常に自分自身と向き合い自分自身の人生のプロセスを味わえる芯の強さが必要になります。
そこに本物の自己自立があります。
徳と才を兼ね備えるには、自分のかけがえのない人生を自分自身が主人公として磨いていかなければなりません。世間の常識に縛られたり、誰かの制約を受けたり、そういうものを乗り越えて自分自身であり続ける精進があって自由を満喫することができます。
誰かから与えられた自由や不自由にばかり囚われ、自分自身であることを忘れてしまえば本当の自由は遠ざかるばかりです。
如何に世界でたった一人の自分を仕上げていくかは、その人の生き方次第です。自由という教材は、それだけその人を磨くには都合の善い価値のあるテーマです。本来の自由にどれだけの子どもたちが気づき、それを自分なりに咀嚼して世の中に唯一無二の個性を発揮していくことができるのか。
私自身の人生のプロセスを省みながら、その文化や存在価値をどのように次世代へと継承していくのか、新しい時代の教育と学校というものの復古創新を同志たちと共に進めていきたいと思います。
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「不自由でない」ということと「自由である」ということは、少しニュアンスが違います。これまでの、規制や罰則、あるいは常識という名で縛られていた「不自由な状態」から「自由の世界」を見ても、なかなか「真の自由」には辿り着けないかもしれません。この世的な不自由さを気にする前に、本来の魂の真の自由さを思い出す必要があるのではないでしょうか。
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これまで何度も学校の試験を乗り越えて来ました。これが今どう活きているか分かりませんが、ただ思うのは、今を生きていく上で自分を活かすために様々なことを学んできたと思うのです。自分の持っているものを最大限活かす中で、自由は更に活きてくるのだと感じます。言われたことだけをやっていては、自由から遠ざかってしまいます。面白がって何かをつくりだしていくことを大事にしていきたいと思います。
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心に甘えがあっては自由は扱えないように感じます。自由の風を感じ、自分の人生を自分が生きていく覚悟がなければ自由に押しつぶされる恐怖が襲ってくるように思います。変に
守りたいものがあるほどに自由が扱いづらくなりますが、固執する自分自身の心と戦っていきたいと思います。
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「自由」という言葉は日頃あまり意識しないように思え、よくつかう言葉のようではありますが意外と馴染みがないようにも感じます。善と悪のように、自由か不自由かではないところに大事なものがあるからなのかもしれず、それを学園の名前に掲げ若者たちのイキイキとした姿があるのは素敵な挑戦なのだと思います。自分自身もそこにある意味をこの機会から感じていきたいと思います。