頑張り過ぎない生き方~素直な心になるために~

人間は頑張りすぎるとき、スピードを上げてしまうものです。スピードを上げて仕事量が増えれば体調が崩すことがあります。私もよく何かをするときに、体を壊してブレーキをかけられたりしてじっとすることがありますがなぜだろうと思うとき焦りや恐怖があったことに気づきます。

人から期待されたことに応えるためにもっと頑張らなければと思ったり、もしくは期待に応えることができて自分も嬉しいと思えばさらに一生懸命にこのまま頑張ればきっともっと喜んでくれると思って気が付くと無理をして頑張ってしまいます。しかしその頑張りは言い換えれば、期待に応えられない恐怖や不安、喜んでもらえないのではないかという罪悪感、喜ばせることができた自我満足感などがさらなる頑張り過ぎの状況をつくっていくのです。幼い頃や子どもの頃に教育や環境の刷り込みを受けてしまうと誰かの期待に応えるために無理に頑張ってしまうということが当たり前になって心が縛られてしまうのです。それが日本人がマジメ過ぎる状況を生んでしまうのではないかとも思います。

頑張ることと頑張り過ぎの違いは、誠実かマジメかの違いに似ています。誠実にやっていれば真心を籠めて丁寧に心に寄り添いながら信じて楽しく取り組めばいいと心は落ち着きますが、マジメであればどうしても期待の物差しが入り評価や保身などの我が混じりあってしまい不安になり次第にやることばかりを増やしてしまうのです。

例えば、作業一つであっても信じていればしなくてもいい作業も信じられなくなると作業は増えていきます。人間は丸ごと信じていくことで、安心して取り組めるのに対して不安になればなるほどに取り組み方が「過ぎて」いくのです。

ここでの過ぎるは、スピードが上がるという焦りのことです。

頑張ることと頑張り過ぎは、焦るか焦らないか、もっと別の言い方をすれば目先のことを悩むか長期的なことを考えているかということでもあるのです。

不安や恐怖と立ち向かうばかり、頑張りすぎると身体を壊したり上手くいかないことばかりが起きたりとブレーキがかかります。しかしその時こそ、よく自分を見つめ直し、できないことを素直に受け容れ、本当は遣りたいと思っていることは何かと見つめ直し、ブレーキの御蔭で速度が調節できたと感謝して歩んでいけばいいのではないかとも思います。自分を大切にすることができてはじめて周りに誠実になることができますから、まずは自分自身の本心を整えることで頑張り過ぎないように気を付けていくことではないかと思います。

人間が自然体に近づくまでには、こういう苦労はたくさん発生します。特に人間は加齢していきますから、経験してできるようになったかと思えば体の変化ですぐにできないようになっていったりもします。そうやって万物は変化し続けますから人間はどんなときにも心を柔軟にして真心や誠実、そして天の働きや他力を借りる御蔭様のことを学び、優しく成長していくのでしょう。

焦りや不安は、信じること、見守ることで払拭されていきます。信を贈る仕事は、相手の結果を見て一喜一憂するよりも自分の心の中の信じる気持ちを大切に調整することを優先していけば信は伸ばしていけます。

信を伸ばして素直な成長ができるように、頑張り過ぎない生き方を実践していきたいと思います。

  1. コメント

    頑張っているのにうまくいかないときは「自我力」になっている可能性があると言われます。「自力」に「我」が入ると、視点が短期になって焦ったり、不信感が高まって保身の欲に走ったりして、バランスを崩してしまいます。そういうときは、もっと頑張ろうとするのではなく、一旦肩の力を抜いて初心に帰り、態勢を立て直す必要があるようです。

  2. コメント

    先日、松下幸之助記念館を訪れる機会があり、生い立ちや作り上げた品々、苦悩や葛藤、そして次代への想いを感じました。著書は手に取ったことはありましたが、素直とは自分が思っていた以上に深いことなのだと、松下幸之助氏の生き方から感じました。「道」と書かれた詩のように一歩一歩歩んでいきたいと思います。

  3. コメント

    自然はもともと調和しているため過ぎることはないのだと思うと、過ぎてしまうのは自然のバランスを崩している状態なのだと受け取ることが出来ます。ですがその自然とは環境の影響を多分に受けるものだと思えば、そのものよりも取り巻く環境がそうさせてしまっていると感じることも多くあります。何かが過ぎる時はバランスを見直すこと、その置かれている環境を見直していきたいと思います。

  4. コメント

    いまあるもの、来ているものをどうしたら頑張らないでやっていけるか、そんなことを考えながら、「やってあげる」から「見守る仕組み」へと意識と行動を変えていきたいところです。個人の意識の問題はその人の向き合うものとして、組織としては個人の問題とせずにどんな環境や仕組みが必要なのかを考えられたらと思いますが、いかんせん、自分自身のことも含まれているので客観視が難しいですね。

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