民話の智慧

むかしの民話の中には、私たちにご先祖様が大切にしてきた生き方を伝承するものがたくさんあります。その多くは、どのような選択をすることでどのようなことが発生するかという人の生き方を示してあるように思います。

私が特に覚えている民話の中で好きな話は「笠地蔵」です。あらすじを紹介すると、

『ある雪深い地方に、ひどく貧しい老夫婦が住んでいた。年の瀬がせまっても、新年を迎えるためのモチすら買うことのできない状況だった。 そこでおじいさんは、自家製の笠を売りに町へ出かけるが、笠はひとつも売れなかった。吹雪いてくる気配がしてきたため、おじいさんは笠を売ることをあきらめ帰路につく。吹雪の中、おじいさんは7体の地蔵を見かけると、売れ残りの笠を地蔵に差し上げることにした。しかし、手持ちの笠は自らが使用しているものを含めても1つ足りない。そこでおじいさんは、最後の地蔵には手持ちのてぬぐいを被せ、何も持たずに帰宅した。おじいさんからわけを聞いたおばあさんは、「それはよいことをした」と言い、モチが手に入らなかったことを責めなかった。その夜、老夫婦が寝ていると、家の外で何か重たい物が落ちたような音がする、そこで扉を開けて外の様子を伺うと、家の前に米俵やモチ・野菜・魚などの様々な食料・小判などの財宝が山と積まれていた。老夫婦は雪の降る中、手ぬぐいをかぶった1体の地蔵と笠をかぶった6体の地蔵が背を向けて去っていく様子を目撃した。この地蔵からの贈り物のおかげで、老夫婦は良い新年を迎えることができたという。』(wikipediaより)

この民話に、私は幼心に正直者についてのお話で正直であることの尊さ、正直者は必ず将来にその徳が報われるということを教えてもらったような気がします。

現実にはお地蔵様が歩いて探しに来ることや、財宝を持ってくるなどありはしない出来事でそんなことをしても意味がないという人もあるかもしれません。しかし、人間には他のいのちを思いやる徳心は必ず備わっており、それが無機物か有機物か、生きているか死んでいるかの区別もなく、それをみて自分を映し共感する心があるように私は思うのです。

辛い思いをしているいのちを観れば、かわいそうと思う優しい心、助けたいと思う思いやりの心があります。孟子はそれを惻隠の情という言い方をしましたが、人間は誰しも自分を差し置いても誰かのためにと真心を盡したいという美徳があるように思うのです。

そうでなければ、赤ちゃんが生きていけるはずがなく、老齢になり生きていけるはずもなく、いついかなる時も誰かの優しさや思いやりに助けられて生きているのが人間の本質なのです。

その本質を引き出していく民話や、童話は、生き方やあり方、その道が示す徳の意味を語り掛け人間としての本来の在り方を忘れないようにと見守ってくださっているように思います。

現在は、あまりこのような民話が語られることが少なくなってきましたがむかしから語り継がれるものにはご先祖様の生きてきた智慧がたくさん詰まっています。その宝のような智慧を如何に伝承していくかは、今を生きる私たちの使命かもしれません。

引き続き子どもたちに譲り語り遺していきたい未来のために、実践を続けていきたいと思います。

  1. コメント

    同じ笠地蔵でも地域によって微妙に内容が違うようで、それもまた民話の良さなのだと感じます。もしかしたら、おじいさんの行いをどこかで誰かが見ていて、その行いに心打たれて誰かが米俵や餅を贈ったのではないかとさえ思います。そして、道徳を教科として教えずとも、昔から伝わる民話にはその教えがあり、お地蔵さんも今よりももっと身近存在だったのだろうと思います。廃れてしまえばそれこそ、再興は難しくなるからこそ子どもたちへ伝えていけるような、取り組みを大切にしていきたいと思います。

  2. コメント

    民話の多くは、人としての善悪を教えるものであり、人間の徳力を磨くための大事な教えです。永い年月、各時代のいろいろな価値観を経ても語り継がれてきた人としてのあり方には、「日本人の価値観」が示されています。そういった先人の智慧を、私たちの時代で消してしまわないように、単なる昔話にしてしまわないようにしないといけません。

  3. コメント

    徳は巡ると、お客様から学んだ一日だったので、改めてこの民話の残したい事を読みながら感じました。子どもたちには、疑わない純粋なところがまだ残っているからこそ、民話や神話、さまざまな智慧を一緒に学びたいと思います。

  4. コメント

    一体誰がどのような背景でこの物語を生み出したのか、または限りなく近い事実が現実にあったのか、それは今ではわかりませんが、物語の素敵さもさることながら、それを生み出し伝え遺そうとした方々の徳の高さもまた感じられます。老夫婦はきっと食料や財宝を自分たちのものだけにしなかったであろうことが容易に想像されます。民話もまた受け手や伝え手の心によってカタチを変えていくものだと思えば、伝承していく者の心構えとして心を高めていきたいと思います。

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