国を安んずるとは

東京の九段下に靖国神社という神社があります。よく報道でも大臣や首相が参拝すると、国際問題になりニュースで取り上げられます。私は九州にいましたから以前はあまり靖国神社といってもその存在も知らず、東京だと明治神宮くらいしか思い当たりませんでした。

戦後、70年以上経て改めてあの頃のことを風化しないようにと感じるようになり改めて深めてみるとその当時のいろいろなことが分かってきます。あの悲しい戦争による犠牲者が何を子孫たちに祈り願いいのちを盡してきたかを思えば忘れないためにも自分で向き合い考える必要性を感じます。

そもそも靖国神社の「靖國」という社号は「国を靖(安)んずる」という意味で、靖國神社には「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」という願いが込められているといいます。はじまりは明治2年(1869)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた招魂社で国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊みたまを慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社です。

御祭神は幕末以来の国事殉難の英霊であり、246万柱以上に及ぶといいます。国家のために戦争で亡くなった方々を祀っていますが敵方だった方々は祀られなかったりと鎮魂としてはどうかとも思いますが、戦時中に靖国神社を心の拠り所にされた方も多かったように思います。

先日、知覧に訪問した際に「同期の桜」という歌を知りました。特攻の方々がみんなで一緒に歌っていたそうです。その歌詞の中に靖国神社が出てきます。

「貴様と俺とは 同期の桜
同じ兵学校の 庭に咲く
咲いた花なら 散るのは覚悟
みごと散りましょ 国のため

貴様と俺とは 同期の桜
同じ兵学校の 庭に咲く
血肉分けたる 仲ではないが
なぜか気が合うて 別れられぬ

貴様と俺とは 同期の桜
同じ航空隊の 庭に咲く
仰いだ夕焼け 南の空に
未だ還らぬ 一番機

貴様と俺とは 同期の桜
同じ航空隊の 庭に咲く
あれほど誓った その日も待たず
なぜに死んだか 散ったのか

貴様と俺とは 同期の桜
離れ離れに 散ろうとも
花の都の 靖国神社
春の梢に 咲いて会おう」

本来、この『同期の桜』の原曲は「戦友の唄(二輪の桜)」という曲で、昭和13年1月号の少女倶楽部に発表された西条の歌詞を元とし、とある海軍士官が勇壮にアレンジしたものだといいます。本来は軍歌ではなく、人の手を経るうちにさらに歌詞が追加されていき時局に合った悲壮な曲と歌詞とで陸海軍を問わず大いに流行したともいいます。

どんな状況でも明るく前向きに生きた人たちが、どのようにいのちを失っていったのか、靖国神社云々が問題ではなく、戦死者の人たちのことを偲び、私たちが今あるのは誰の御蔭様なのかと考える機会にしていく必要を感じます。

極論でばかりで物事を安易に裁かないように、子どもたちのためにもその時代のことを鑑みて物事の本質を伝承していきたいと思います。

 

  1. コメント

    天下泰平の世を願うのはいつの時代も変わらないことなのだと感じます。そう思うのは、大河ドラマに「西郷どん」に合わせて、「素顔の西郷隆盛」という本を読み進めていると、ドラマでは描かれない姿もあり、誰よりも国のことを考えておられたことを感じます。祖父母は戦争を子どもの頃、経験したようでしたが、今はもう亡くなり伝え聞くことも出来ません。平和を願うその心を忘れた時、再び戦争が繰り返されると思うと、決して忘れてはならないことです。子どもたちに遺していきたい未来というものを追求していきたいと思います。

  2. コメント

    自国のために尽くされた方々への慰霊は、外交の問題ではなく、日本人としての本質的な課題でしょう。政治的信条の前に、あるべき姿をしっかり確認しておきたいものです。そういう意味では、国家の代表の態度こそが重要であり、そこに日本の未来が創られていくのではないでしょうか。

  3. コメント

    「国を安んずる」その最も代表的とも言える日本人が松陰先生のように思えます。黒船が来航したその時からこうなることは予見されていた中で、それでもこの国の魂が永久に亡くならないようにと命を懸けて下さいました。靖国の桜に何を見るのか。それは忘れかけた私たちのことを、それでもなお忘れずに毎年咲いて下さる先人たちの真心・親心なのかもしれません。

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