生きていく中で、尊敬する友人と出会い、その友人たちの生きざまを拝見していると、敢えて自ら苦労を選択して大変な思いをしていることが多いように思います。その苦労している最中は、傍で見守っていても辛く厳しく、時折もうその辺でいいのではないかと深く心配することもあります。
しかし、自ら苦労を選択して前に進んでいく姿にそこには単に苦しみを受け容れるだけではなく喜びの先送りをして後に必ず訪れる偉大な仕合せを心から信じて時を待っているかのような気配もあります。
人間は、最終的には一人で生まれて一人で死ぬようにすべてのことと一人で正対していくしかありません。いくら代わってあげたいと願っていても代わってあげることもできず、その人のために祈ることしかできません。
しかし信じて見守っていけば、必ずその人の苦労が報われていつの日か楽しい笑顔と豊かだったその当時の苦労のことを思い出し、祝福の思い出に変わっていきます。そこまでの道のりを単につらい苦しいだけのものとするか、それともそれもまた人生だと受け容れて自分を変える力にするかは、その人の心が決めているとも言えます。
その心を励まし元氣づけ、支えて応援してくれる仲間や友人は道の友であり、同志であるとも言えます。絶望するからこそ、挑戦しようとする希望が湧いてくる。そういう生き方をする友達に恥じることがないように、信念を磨き、勇気を高め、努力と運と丹精を籠めて子ども第一義の道を邁進していきたいと思います。
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学生時代からの友人は、くだらないことで笑い合えたり、かけがえのない存在ですが、同じ方向を見て語り合えることは尊いことなのだと感じます。たくさんの方と出会って語り合えることは、何物にも変えられないやり甲斐でもあります。自分が大変な時はいつも周りの方に支えて頂いているからこそ、誰かが大切なときは支えられる自分であれるよう、自分自身を磨いていきたいと思います。
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自ら「苦労の道」を選択する人は、いつも何かに「挑戦している」ように見えます。避けようと思えばいくらでも避けられるのに、逃げないで挑戦する。そして、そうすると決めた後は、ぐちゃぐちゃ言わず黙って努力する。そういう「勇気の出し方」は見習いたものだといつも思っています。実践してみせてくれる人が傍にいてくれるのは、本当に有難いことです。
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植物そのものに何かをするのではなく、周りの土壌をよくしていくことで植物が元気になるように、困難の中にあるその人を直接励ませなくとも周囲の人たちを元気にすることで間接的にその人も元気になれるように感じます。その土壌はそれぞれにお互いが含まれているからこそ、自らの生き方を高めていきたいと思います。