真実の言葉

「感謝は最大の徳であるだけでなく全ての徳の源である」(Gratitude is not only the greatest of virtues, but the parent of all others)という言葉があります。これは、マルクス・トゥッリウス・キケロの遺した言葉です。

紀元前の人物ですが今でも全く錆びることなく朽ちることなく、そのまま言葉が燦然と輝くというのはそれだけ真実をそのまま言葉にしたからです。時代が経ち、無数の言葉が生まれましたが実際には真実に加工をし数を増やしただけでそのものの本質は一切変わっていないことに気づきます。キケロは他にもこう言います。

「もし人がこの世界から人間を結合している親切のきずなをたち切ってしまうならばどんな家も、どんな都市も存続することは出来ない。」

今の時代、徳の循環が機能不全に陥り人間のつながりや地域のつながりも消えかけています。まさに時代が変わっても、時がたっても、人間の本質、自然の摂理は一切変わらないのです。

他にもこういう言葉もあります。

「あなたは生きるために食べ物を食べているだけだ。食べ物をたくさん蓄えるために生きているわけではないはずだ。」

現代では、この食べ物をお金に変換すればそのまま理解できます。実際には、お金を蓄えること、失わないために生きていることになっている人が多い世の中です。

最後に出会った好きな言葉です。

「天より賦与されたる私たちの人生は、たとえそれが儚く短いものであったとしても、楽しく送りし人生の記憶はまさに永遠になる」(The life given us, by nature is short; but the memory of a well-spent life is eternal)

もしも記憶そのものが人生だと定義するのなら、楽しかった記憶こそ楽しい人生そのものになります。

この世の真実がどうなっているのか、それを正しく見極めた人物の言葉はまさに寝ぼけて曇っている眼差しを洗い清め覚醒させ、澱んでいた魂を揺さぶり起こすものです。

真実と向き合い、今を味わっていきたいと思います。

  1. コメント

    無数の言葉が駆け巡る中で、私自身はどの言葉を拾っているのだろうかと感じます。言葉だけでなくその想いや気持ちなど、言葉には表れていない心情を、目の前でちゃんと受け止められているのだろうかと考えさせられます。気持ちが分かるからこそ、寄り添えることがあり、役人立てることがあるかもしれないと、誰かのお役に立ち立てるような働きをしていきたいと思います。

  2. コメント

    「感謝」ひとつを同じように語っても、「自分の言葉で表現する」と、レベルの違ったものにしかなりません。それは、「その程度の世界にしか生きていない」ということであり、「未だその程度の悟りである」ということでしょう。「いまの自分が何を語れるか?!」ということを、自分の修行のひとつのヒントにして、「自分の言葉」としっかり向き合っていきたいと思います。

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