むかしから「子縁」というものがあります。これは子どもが縁をつないでいくということです。諺にも「縁の切れ目は子で繋ぐ」「子は縁つなぎ」というものがあります。
単に子どもは夫婦の縁をつなぐだけではなく、人類の世代と世代をつなぎ、世界をつなぎ、時間をつなぎ、文化や地域や伝統をつなぎ、希望をつないでいく存在だとも言えます。
この子縁が人々の断絶を甦生させ、失われていく未来をつなぐ存在になるのです。
そしてこれは人類の集団の叡智を担っているのです。
子どもという存在をどう捉えているか、そして子どもが集まるということが何か、さらには保育というものが如何なるものかをどの次元で受け止めているかで視座が変わっていくのです。
今もむかしも、子どもは両親だけが育てているわけではありません。数多くの方々の見守りがあってはじめて子どもは育ちます。赤の他人といわれる大人たちから見守られ、助けられ、見守られ、一人の子どもが立派に育っていきます。
その御恩をお返ししようとさらにより善い社會を創造していくのも子縁の叡智です。
人類はこれまで生き延びてきたのは、子縁があったからです。
その子縁を絶やさないことは単に子どもをつくればいいという問題ではありません。子を中心に如何に見守り合う社會を創造していくか。それがまさに子縁の本質なのです。
子ども第一義の理念をさらに発展させながら新たな挑戦を楽しみたいと思います。
コメント
子どもに関する犯罪が増えて、子どもは地域の大人と話す機会が減っているかもしれません。大人たちも、以前ほど気軽に子どもに声をかけられなくなっているのではないでしょうか。挨拶すらできないようでは「関係」が切れてしまいます。「子どもたちが地元を走り回り、それを大人たちが見守る」そういう姿の復活が望まれます。