昨日、ある法人の理念研修で感謝の話をお聴きしました。この法人の職員はもともと仏教を信仰している方が多く、とても感謝の心を大切にしています。その話とは、同じことをしていても感謝の心でやっているかどうかがとても重要だという話です。
何かのことをやる際においても、実際には多くの人たちの努力や御蔭様が存在します。また食べ物一つを食べるというのであっても育ててくれた人、運んでくれた人、料理してくれた人、そして人だけではなくその生きものを育んだ地球のことまで思いを馳せれば自然に感謝が湧いてきます。
この感謝は、実際に当たり前ではない存在を感じ取っている心であるとも言えます。如何にそれが有難いことか、滅多にないことかと自覚している心が感謝の心であるのです。
人間はなんでも自分の思い通りになる生活をしていると、次第に傲慢になってきてなんでもあって当たり前、なんでも自分の権利であるかのように勘違いしてしまいます。そのうち感謝の心を忘れてしまうと、自分自身のいのちにさえ感謝をすることをやめてしまうことにもなります。
みんな何かの出来事があり、なぜ自分がこんなことにと思う時、静かに振り返れば感謝の心を忘れていたのではないかと思い出すように思います。
忘れるのを思い出すことと、忘れないように日々に思い出すこと。今のようななんでも物に溢れ、人間の都合でなんでも簡単便利に手に入る時代だからこそ心を磨くために、感謝という実践を積み重ねていくことが心を平安にしていくための大切な徳目になっていきます。
時代が変わっていく中で、今が何に気を付ける必要があるか。仏教ではそれを六波羅蜜で説いています。まさに今の時代は、有頂天にならないように気を付けること。それは感謝を忘れないで生きていくという自戒を持つことだを感じます。
当たり前ではない存在に気づくのは、自分勝手な妄念や妄想を払清めることからです。
初心や理念を忘れずに、感謝を磨いていきたいと思います。
コメント
「感謝」を忘れるというのは「見失っている」「気づかなくなっている」という感じですが、うまくいかないときは「交換条件」を出して何かを要求しながら付き合っていたりします。「報恩」というのは、まだ「自分にとって、自分に対して」という視点が強くありますが、これを「報徳」に置き換えると、「自分」というものが関係なくなります。「自分のために」という視点も大事ですが、「誰かのために」という心の豊かさも見失わないようにしたいものです。一つひとつの「事象」に対してだけではなく、そういう慈悲心の「存在」や「ハタラキ」という奇蹟に感謝したいと思います。