昨日は、自然農の畑に大量の芹(せり)が生えたのでそれをみんなで収穫してお鍋にしたりおひたしにして食べました。この芹は数少ない日本原産の野菜の一つです。大変古くから食べられており、万葉集にも出てきます。
今年は、自然農の田んぼで稲と芹の相利共生を試しており、どのような結果になるのかを観察して楽しんでいます。
私の自然農の農園は、実験的農園でもあり、あらゆることを試して自然に仕組みや場を学び直しています。私の場の理論は、すべて自然から智慧を拝借したものであり知識はそれを説明するためだけに使っています。
自然はあるがままに道理を示しますから、よく観察していないと自分の先入観が邪魔してわからなくなったりするものです。その時は一つ一つの現象をよく深め、研究し、ありとあらゆることを実験しているうちに発見があります。
実験が好きな私には飽きることがなく、田んぼは私のもっとも好奇心を高める場です。
話を芹に戻せば、芹の名前は「競り合う」ことからきています。これは見たらすぐにわかりますが、田んぼを覆いつくすように競り合うように育っています。生命力が旺盛で、収穫した後もずっとまるで今も成長し続けているように元氣です。
この元氣さは田んぼの元氣を吸収しているかのようで、根も葉も茎もすべて食べれます。またその栄養価も薬効も非常に高く、食すると発汗、利尿、解熱、食欲増進などがあるといいます。
春先が旬ですから少し旬とは離れていますが、山野草の特徴的な苦みや香り、アクがありますが自然の食べ物独特の深い味わいがあります。セリ科の野草は、ハーブを含め世界でも香辛料としてだけでなく薬効があり食べられています。例えば、ニンジンやセロリ、クレソンやミツバ、アシタバ、そしてハーブとしてはフェンネルやキャラウェイ、ディルなどです。そしてエスカルゴバターに欠かせないパセリもセリ科の野菜です。カレーに必要なクミン、別名パクチーのコリアンダーなどもセリ科です。
私たちの祖先はむかしからこの芹を食べていて、暮らしには欠かせない食材としてずっと大切にしてきたのです。スーパーでしか買ったことがない人は、どこで採取できどのように育っているのかを見たことがないと思います。
私は子どもたちには、このように自然に育っている場をみせる必要を感じています。この芹の効能もまた、旬の時機も、なぜ体にいいのかを現場を見て自分で採取すれば一目瞭然だからです。
このように生きる知恵は、一目瞭然になるまで続ける必要があります。なぜなら芹にはドクゼリというものもあり、これは「ドクウツギ」「トリカブト」と並ぶ日本三大有毒植物です。間違って食べると、痙攣や呼吸困難、嘔吐や下痢、意識障害などがおこり、最悪の場合死亡することもあります。セリと生える場所が同じで季節も近いので何度も見分けながら覚える必要があります。
こうやって生きる知恵も、これは食べられる、これは食べられない、それを見分けること、知ることは、将来生きていく上での大切な智慧になるはずです。誰かがやってもらったものを食べるだけでは生きる力はつかないのです。
この私の自然農の田んぼにはすべての生きる知恵が詰まっています。先祖が如何に田んぼから学んだか、そして田んぼを伝承の場としたか、頭が下がります。子どもたちのためにむかしの田んぼを守っていきたいと思います。
コメント
田畑には「いのち」が生き続けています。しかも「共生」という智慧をしっかり学びながら、それぞれのいのちを輝かせています。自己主張しているように見えるものもありますが、自ずと折り合いはついているようです。そういう意味では、懐の深い「寛容さ」を持ちあわせているのでしょう。いまの人間がこの自然とうまく付き合えるかどうか?!そこに私たちの生きる力が試されているようです。