人生はめぐりあわせの連続で成り立ちます。自分は変わらないように願っていても、地球が自転して廻るようにいのちも動きます、そして時も過ぎていきます。変わらないにと願うのなら、自分が変わり続けるしかありません。
その中で、今までと異なることがたくさん発生してきます。それがご縁であり、めぐりあわせということです。そのめぐりあわせには、自分にとって良いことも良くないと思えることも同時に発生します。人間ですから、自分の受け止め方次第でどうにでもその捉え方で事実が変わるのです。
ある人には、幸福なことでも同じでもある人には不幸にもなる。めぐりあわせというのは、幸不幸のめぐりあわせともいえます。
生き方を磨く人は、様々なご縁をその都度、自分の人生の目的や生き方に合わせて福に転じ続けていきます。それは決して無理をして福にするのではなく、本来福であると信じる力で福になっているのです。
これを人間万事塞翁が馬ともいいますが、実はこれは福かもしれないと信じる力。それが世の中の情勢が不安定な中でも素直に生きていくための要諦になると私は思います。
よく考えてみると、歴史を観れば大変だった時代がたくさんあります。気候変動、世界戦争、飢餓飢饉、猛烈な感染症、隕石などもいれたらもうきりがないほどです。
先人たちはそんな大変な困難の中でも、福に転じて今の私たちにまでいのちを繋いできてくれました。
そんなご縁、めぐりあわせはまさに感謝の権化であり私たちが如何に偉大な徳をいただき生きているのかを知るのです。
だからこそ、偉大な先人たちが実践してきた生き方を伝承し、その伝統を子孫へと紡いでいくのが私たちの使命でもあります。日々は、大切な実践の現場です。本日も、明るく素直に感謝で歩んでいきたいと思います。
コメント
「縁起の理法」から見ると、現在起きていることは「過去の何らかが原因となって起きた結果である」と言えるかもしれません。問題なのは、今起きていることへの対応姿勢が「未来への原因になる」ということです。そういう意味からも、「転じて福となす」という発想と努力は、その時代を生きる人たちの「子孫に対する思いやりの徳力」と言えるでしょう。そういう先人たちの生き方の徳に感謝し、しっかり引き継いでいきたいものです。