自然体

自然の感覚が分かる人がいます。その自然というものの理解の深さというか微細さを知るというのは、とても価値があることのように私は思います。なぜなら、自然への理解の深さこそ真理への深さだと実感するからです。

その自然は、人間がどこか切り取った自然理解のことではありません。あるがままにいいものはいい、そして本物の価値を理解できるということです。

何が本物であり、何がそうではないか。

その感覚を持っている人はこの自然あふれる世界において美しく素晴らしい日々に触れながら暮らしていくことができるからです。この世に生まれてこの自然に感動する日々を送れるということはそれだけで仕合せに生きているということでもあります。

少しの風や光、水や虫の音、そして空や月の揺らぎ、なにもかもが感動の世界です。自分の五感をはじめ、すべての感覚はその美しいものをとらえ好奇心は発揮し続けられていきます。

心のままに心の世界を堪能し、心の赴くままに真善美を味わいます。その感動は感謝であり、歓喜であり、感激にもなります。

何もない中に仕合せを感じ、何かがあればそれも仕合せを感じる。

情動もまた感動の一つですから、子ども心のようにドキドキワクワクと情熱が冷めません。人生の価値とは何か、それはこの自然であること、自然になること、自然体で生きることだと私は思います。

人は色々なしがらみや刷り込み、そして周囲の環境や人間関係によって本来の自然とは少し離れた存在になってしまいます。しかし時折でも暮らしの中で、自然に触れることで本来の生きる仕合せを整えていくことができるように思います。

暮らしフルネスにはそういう仕合せもまたあります。

子どもたちが健やかに仕合せな日々を、素直に喜び好奇心を失わず自然体で自然と愛し合えるように見守り場を育てていきたいと思います。

  1. コメント

    「人を相手にせず、天を相手にせよ」という言葉がありますが、これは「相対的ではなく、絶対的な生き方をせよ」という意味でもあるでしょう。これに「自然を相手にせよ」を加えると、自分の不自然さに気づいて「素直に生きよ」ということになるかもしれません。素直な心を取り戻せれば、実相がわかり本質が見え正しくものを見ることができる。自然の中にいながら自然を無視して忙しなく働く日々に、少しでも自然と向き合う瞬間を取り戻したいものです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です