私はかつての百姓に憧れて日々の暮らしを創造してきました。気が付くと、無肥料無農薬のお米作りであったり、自然農の畑を持ち、発酵食品をつくり、自然養鶏をし、古民家を甦生させむかしの道具たちとあらゆる先人の智慧と共に豊かに暮らしています。
ここまでは百姓といわれるところですが、そこから徳積堂という御堂や茶堂を創り、原点サウナといった石風呂を甦生し、ブロックチェーンの学校や場をつくり、他にも最先端と伝統をくみあわせた新しいものづくりや教えない教育という場づくりや暮らしフルネスといった新しい暮らし方などを実践し提案しています。
百姓というと、なんだかむかしの器用な農民というイメージがあります。
しかし本来の百姓とはただのむかしの器用な農民というわけではありません。私にとっての百姓とは「土をつくる人物」、つまり土壌を醸成するものということです。
この世の環境は、土にはじまり土に還ります。環境のことを語るのなら、土を語ります。土があるから花が咲き、土があるから私たちは暮らしていくことができます。だからこそ私たちが何よりも大切に見つめなければならないものは「土」なのです。
例えば、会社であれば組織風土とも呼びます。環境問題は、この風土を美しくしていくことでもあります。なぜ日本の原風景と呼ばれるものが美しかったか、それはそこで暮らしを営む人たちが美しい風土を実現させていたからです。
そしてそういう人物たちのことを私は百姓と呼ぶのです。
私が百姓に憧れ、百姓を実践するのは、土づくりを楽しみたいからです。この私の人生で遺された時間でできる土づくりはどこまでかはわかりません。しかしこの故郷にあって、自分の生まれ育った場への恩返し、そして徳を醸成するために私はこの美しい風土と共に土づくりを深く味わっています。
みんなでよい風土をつくること、それが子どもたちへの恩返しになります。いつかはみんな土に還ります。懐かしい未来に向けて、土が喜ぶ生き方をしていきましょう。
コメント
農の世界では、「人が土をつくり、その土が作物をつくる」と言われました。しかし、いつの間にか「人が作物をつくるようになっておかしくなった」とも言われています。また、商の世界では、松下幸之助さんが「松下電器は人間をつくっており、その人間が製品をつくっている」と仰っていましたが、多くの企業は「会社が製品をつくっている」のでしょう。このような「生み出す場を整える」という発想が、あらゆる世界の環境づくりの原点なのではないでしょうか。