以前、どこかで情報は生き物だという話を聴いたことがある。
確かに固定しずらいのが情報であり、それを使う人、場所、時代、用い方、認識レベル、等々を考えるとまるで生きているかのように刻々と変化していくものだと思う。
身近でも情報といえば、正しく伝わっていないなと思えることが多い。
そういえば、現代は子どもの姿であっても分からないところで歪められているものが多い。たとえば、身近で言えばアレルギーやアトピーの問題だってそうだろう。
保育園幼稚園に行くと本当に多くの子どもがアトピーやアレルギーで辛い思いをしている。治療方法といえば、大きく分けて2つ。薬を多く使うか自然に戻すことしかない。
年々次第にかなりの数が増えているにも関わらず大きな問題にはされない。
単に個人の食やストレスだけではないもっと隠れた大きな贖罪が数々の企業群、そして過去の利を優先する人の道理を外れた行いが時を経て無意識化されるように情報が操作されたことだってあると私は思う。
そうやって歪められたものを正しくみようとすると、あまりにも身の回りの多くのモノゴトが全てとんでもないくらい危険に溢れていることを知ると人はそれを受け容れず逃げようとしてしまうのだと思う。
エコ活動をしてみたらすぐに分かることだが、合成洗剤も石油もそして添加物、加工食品に農薬、、森、水、煙、土にとありとあらゆるものがもう不自然の中で当然に塗り固められている。
多くを聞くと戦後の高度成長期に行われたものがほとんどだと聞く。
そしてそれを後続が踏襲しながら、相変わらず利だけを優先しアメリカ型の資本主義の成功の陽炎を絶対だと妄想してそれを「まことの情報」として気づくこともなくなっているのだという。
しかし、田畑と同じように必ず蒔いた種は実をつけるように、悪い種を蒔いて良い実がなることもないように、この種の問題を今、ここで解決せずに先延ばしにしたら未来の愛する子ども達に重く圧し掛かることを我々大人は寸時も決して忘れてはいけない。
この贖罪や、先達の過ちは気づいた子孫が改善していくのが定めだからだ。
それこそが、人の道だ。
そこで話を戻すが、保育園幼稚園でも多くの歪められた情報の環境下であっても「あるがまま」である昔からの普遍的な『子どもの姿』を守っていくことが求められている。
そもそも保育園幼稚園に預けるということ自体が天地自然に照らせばどうかと思うのだがだからといって保守になり頑なになれというのではなく時代と環境に順応するために「創意工夫」して本質からズレないように努めることが理だと私は思っている。矛盾ではなく、それが自然界にある成長の理なのだと思う。
そんな人的作為の中ですぐに必要になるのが情報リテラシー能力だが、その中には歪められた情報を正しくして理解してもらうためのスキルも必要になると思う。
そしてそれを扱う本人がまず本質からずれないようにしていないと、唯でさえ歪められているのだから歪んだ方にあわせていけばあわせていくほど情報のやり取りは混沌としていく。
そしてもしそれが大変だとそこから逃げれば、「事なかれ主義」に入り保護者もどんどんエスカレートして巷でいう「モンスターペアレント」に成長し隔離されるのだろう。
しかし本当はみんな子どもを深く愛するが故にそうなってしまったことも忘れてはいけないと私は思う。そしてその「子どもを深く愛する」とは、自分の子ども時代の過去もひっくるめて愛したいと思っていることももう一方で忘れてはいけない道理だと思う。
天地自然の道理として、地球に在るすべての生物の親は子どもを愛するようにできているからだ。
天の理を弄ぶかのように情報を操作するのは大衆心理の欺瞞でありマスコミの持つ安易な情報提供と現世にある大衆の人物不足による悲しい性なのだと私は思う。
だからこそ、本質や真理真実で根気強く歪められたものを解決していくためにも情報は「天地自然の理」に照らしてから観て話していくものがいいのだと思う。
たとえば、子育てであっても天地自然の多くの理が使える。
・雨が降れば地が固まり、そして多くの栄養が太陽によって恵まれること。
・今のためではなく遠大な先々の準備を自然は循環して行っていること。
・昼と夜のように、活動と休息で自然は安定し成長していくこと。
・全ての生物は、どんな行為も地球と共生しているこということ。
子どもは自然そのもの。
子どもが扱いずらいという人がいるが、それは単に自然から離れている人だと私は思う。
自然は思い通りにはいかないから、寄り添いともに生きることで「人間」になるのだ。それが「人の理」であるのだと私には思えるからだ。
これからの園や、そこで働く職員は外部の歪められたものですら、それをどう受容して正しい気づきを与えていくかは目下の課題だと思う。もちろんそれは園だけの問題ではなく、取り巻く企業や地域とも一緒に進めていく必要がある。
まず私たちカグヤが率先垂範して、まず自分たちが世の中の曲がった歪んだ情報と正対し天地自然の理に沿って大人としてのモデルを示していこうと誓う。
今気づいて変わることで、子ども達に未来を譲っていけると信じて・・・
自分にしかできないことをより見つめていこうと思う。
コメント
本当に今は歪んだ情報が身の回りに沢山あるのだと思います。都合のいい大人が自分達の利益だけを求め周りを省みる事もせずに行なってきた事が全て子どもたちにかえっていて犠牲になっているという事を決してそのまま流してはいけないのだという事を強く感じます。しかしながら問題に気づきながら自分だけ何かを変えても変わらないのではという人が居る事も現実ではないかと思います。私自身そうですがまだまだ自分の事だけを考えて行動する事が多くあります。自分の言動やいい加減な行動が全て未来の子どもたちに繋がっているという事をもう一度考えなければと思います。それを踏まえた中で先ずは自分がという気持ちを全ての人が感じるとき、世の中はきっと良くなるだと思います。それを信じ、先ずは自分自身の実践を大事にし大人としての正しいモデルでありたいと思います。
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自分達が生活している中で使うもの考えている事などがその殆どが戦後からの思考
であり、アメリカ型の大量生産大量消費の考えから築き上げられているものだという
ことを改めて感じます。そう振返って感じることが大事なのではということを思いま
す。それは園に在る気づけていない刷り込みに気づいていくことだと思いますし、
自分自身、まだ気づけていない刷り込みをもっと見ることで問題意識と危機感を醸成
していかなくてはいけないのではという事を思います。その気づいた刷り込みを自然
な形に再構築していくことで子どもにとっての社会を築くことが出来るように、見つ
め直していきたいと思います。日ごろから流されず、アンテナを張る様にすること、
そう実践していきたいと思います
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自分も幼い頃アトピーとぜん息を持っていて夜も寝れなかったことで、大変な思いをしたことを思い出します。
やはり薬に頼り、早く治そうとしていました。
季節の変わり目にアトピーがひどくなり、なってから治そうとしていましたが、今では病気にならないような生活をしよと思うようになりました。
根本的な治療を考えると食事や生活習慣を改善すると良いのだが、良い病院があると聞けばそこの病院に行っていき、根本的な治療をしませんでした。
インターネットによって沢山の情報が手に入るこの世の中で、本物の情報と偽者の情報とを区別するのが難しくなっているが、情報だけで判断するのではなく、自分から経験して良く観て判断することが大事だということをカグヤの実践である、玄米食から感じました。食生活から変えていき、根源的に改善していくために、本物の情報を見極められるようになって情報を発信する側になり、園が、子どもたちが良い環境で生活できるように自分が園に関わることの中で、自ら実践していきたいと思います。