今の時代のサイクルについて考える機会があった。
もともと今のように物が豊富になっていることで、大量生産大量消費、そして大量廃棄という価値観が横行しそこから様々な問題が起きています。
これは経済社会の全ての場所で言えることで、食でも物でもエネルギーでも、さらには人や環境までも大量に生産するものを維持し増やしていくことで経済が豊かになるという考え方のことです。
大量に生産することを目標にし、まず大量に生産してしまうと、それを何とか消費しなければならなくなります。大量に消費するためには、莫大な費用をかけて宣伝や仕組み作りが必要になり大量の経費もかかります。そしてそれが上手くいかなければ大量の廃棄が必要になるのです。
今のゴミ問題もそうですが、作りすぎるから捨てる必要があり、分度を定めて正しく生産していれば廃棄の問題というものはなくなるのです。明治以降から、グローバリゼーションの波が押し寄せ、とにかく溢れんばかりに物を作り出す方法を機械化し、システム化し、流通を加速させることでより便利にしましたがその反面、捨てることによる貧しさも同時に加速したのです。
捨てるということは、その役目を活かそうとする発想ではなく役に立たなくなれば要らないという発想です。役目を活かそうとする発想は、何か他の使い道がないか、何か他にも活かせる方法がないかと様々な創意工夫が思いやりから発生できます。
しかしそういうものも失われていけば次第に、もっと便利なもの、もっと真新しいもの、もっと効率がいいものというように自利があるものだけを優先してしまうようになります。
作りすぎているからと、余ったものは捨てる、その仕組みを維持するために各方面に無理を要求する、その結果として危険で不誠実なものでもいいというモラルが生まれる。このサイクルは、捨てるという発想からはじまっているシステムによるものだと私は思います。
もっと捨てないという発想、分度を定めて取り組むという人道の在り方を見直し社会が善くなるために何をすべきかということから取り組む時代にしていくことが子ども達の未来に自然を遺すことの一つのように思います。
日々の生活から刷り込みに気づき、様々な環境課題を一つずつ見直していこうと思います。
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先日の割ってしまった茶碗を捨てず、どう活かすかを考えていたらインスピレーションを得ました。活かすにも、どう活きるかの幅の拡がりは捨てる、買い替える行為からは生まれてこなかっただろうと思います。単に捨ててしまっては思考回路も起動しません。立ち上がると、展開のスピードは速くまだ見ぬ可能性を感じます。一つ一つが作品であることを意識し、実践を形にしていきたいと思います。
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常に新しいものが生まれ続けている今の時代では、少し古いものがどんどんと捨てられていて、私たちは自分が都合が良い部分しか見ていないように思います。目の前の部分だけでなくもっと本質的な部分を見ていくという事を改めて考えさせられました。又分度という言葉からも感じますが、人が本当に生きて行く為に何が必要なのか、を改めて考える必要を感じます。
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長野で3日過ごしてみると、もったいないからという発想を沢山感じる機会に恵まれました。
また、物を捨てない文化の中でも残ってしまうものは、ある目的のものだけに特化しすぎたものである様に感じます。タイヤ、腐敗した金属など、材質までもが融通の効かない特化したものは、日常生活では中々昇華しきれないと感じました。
やはり、自然に返す事のできるレベルというものを守る必要性を感じました。