昨日、福岡の自然農園に足を運び冬の状態を観察してくることができました。
昨年末に植えた芋の種も、土中で新芽をじっくりと出しています。
冬というのは、冬眠していると思って何もしていないと思いがちですが生きているものはこの冬の厳しさの中でじっといのちのタイミングを計りいのちの道を歩んでいるように思います。そして同じく夏も、暑さと渇きの大変厳しい中でいのちの道を歩むのです。
自然の中で生きるということは、世の中には厳しいものも苦しいものも、そして楽しいことも幸せなことも沢山あるのだと実感しながらも素直に生きることを学んでいるように思います。
冬は冬で雑草も生えず、霜や雪の中であまり成長していないのではないかと感じますが確かに春を待つ息吹に包まれています。芽がある部分も、これから出てくる部分も、よくよく観察するとあらゆるところに存在しているからです。
冬の時期は、隠忍自重ではないですがじっと耐える時機であるように思います。じっと待つのは、自然の中でいる自分を丸ごと信じることができるからのように思います。丸ごと信じるというのは、待つときにこそ実感できるものかもしれません。
何もしないで待つということは大変難しいことですから、自分のなすべきことをやりながら待つというのがそれぞれの自然の在り方かもしれません。動植物の心は、自分だけではないから自分だけの努力で何とかしようとは思わない遊びがあるということでしょう。
人生を豊かに生きるためにも、厳しい中にあっても遊び心を大切に豊かに歩んでみたいと思います。
コメント
家の麦を見ていてもそうですが、先月から見た目は全くと言っていいほど変化はありません。先日雪が降って積もった際に、雪解けの時は麦が倒れてしましましたが、今はしっかりと立っています。きっと見えていない土の中では、大きな力を蓄え、今か今かと待っているのではないかと感じました。人も同じで見た目で判断するのではなく、内面や心の成長は見えにくいものですが、大切なものだと改めて感じます。
コメント
自分自身のやるべきことから、逃げず怠らずいる事が四季という循環の中に身を置いていられると言う事なのだと学びました。そしてそこには、全ての物事は繋がっているという、普遍的な事実を正しく自覚する事が大事なのだと思います。まだ価値観のシフトが自分自身にはありそうです。
変化を楽しみたいと思います。
コメント
一人で待つのは不安で、耐え難さも感じます。そのような環境下で未来を描くことは難しいように思います。だからこそ、遠い未来よりも今をよりよく生き、今一緒にいることに喜びを感じられることが、不安な人にとって大切なのかもしれません。未来ではなく今を一緒に生きる人に安心感を感じ、現実を受け入れ・支えてくれる力に生きることを学ぶのかもしれません。