昨日は、古里について考える機会がありました。今年は里がテーマですが、里もまた自然そのものであることをご縁のたびに確信しています。
古里とは、辞書では「1 自分の生まれ育った土地。2 荒れ果てた古い土地。3 以前住んでいた土地。4 宮仕えや旅先に対しての自分の家、自宅。(goo辞書)とあります。
明治に入ってから、西洋からの新しい価値観を優先している中でかつての自然も次第に荒廃が進んでいます。開拓できるところはすべて開拓するという欧米的な発想が、かつての田舎までも都市化していきます。これらの都市化というのは、人間中心の社会のことであろうと思います。
私たちは古里を思う時、何かといえばかつてそこで生まれ育った場所ということです。言い換えれば、幼児期や幼少期に暮らした自然と両親の見守りです。そういう見守りの中で、私たちは将来を見据えて準備をしていきました。
動植物も同じく、幼少時は安全安心な中で大切に社會で自立していくための基礎を学びます。それは優しく温かい自然の恩恵を受けられる時機地場空間だったはずです。
そこで感じた慈愛を根っこにして、自分の存在を確かめ信を抱き巣立っていきます。そしていつの日にかまた帰ろうとするのです。これを帰巣本能ともいい、犬も鳥も魚も必ずどこで生まれ育ったのかをいつまでも忘れません。
私たちは古里というものを一体何で憶えているかということなのです。
古里と言えば、有名な日本の童謡作曲:岡野貞一作詞:髙野辰之の故郷があります。
兎(うさぎ)追いし かの山
小鮒(こぶな)釣りし かの川
夢は今も めぐりて
忘れがたき 故郷(ふるさと)
如何(いか)に在(い)ます 父母(ちちはは)
恙(つつが)なしや 友がき
雨に風に つけても
思い出(い)ずる 故郷
志(こころざし)を はたして
いつの日にか 帰らん
山は青き 故郷
水は清き 故郷
これは幼い頃に親しんだとても美しく澄んだ童謡の一つです。メロディーが流れれば、そこに懐かしい日本の原風景が顕われてきます。日本古来の原風景を如何に伝承するか、民俗学の本質もまたそこにあるのではないかとも思います。
この故郷とは何か、古里とは自然(かんながら)なのです。自分の生れ育った産まれたところの風土が赤ちゃんの初乳であり、お米で言うところの苗土なのです。いのちは自分が出てきた場所を忘れません。それはいのちが続いていることを本能が知覚するからです。
そのふるさとを守りたいという心は、人間社會で生きていくなかで信を忘れないようにと願う父母の恩徳を守りたいという真心と一体ということなのでしょう。私にとっての故郷は、神社の木々の中で澄んだ清らかな水の流れ、そして眩い透明な光と草の香りがするそよ風、小さな昆虫や動物の声の聴こえるところです。
古里を心に、自然恩徳を忘れず、日々を健やかに逞しくやわらかに生きていたいと思います。
子どもたちに一つでも多くのふるさとを遺してあげたいと不退転の決意を新たにしました。
有難うございます。
コメント
新幹線から見る景色が、急に田園風景に変わると、「帰ってきたな」といつもホッとします。親しんだ風景とわが家に安らぎを感じるのは、ここで命が育った確かな時間があるからでしょうか。穏やかな心でいられるときは、両親とこの町を選んで生まれてきたような気がします。この歳になって故郷の美しさを知りました。故郷を自慢できることは幸せなことだと感じます。
コメント
日本の原風景と言うと田園風景を思い浮かべます。ただ、それがどこから来たかを考えるとTVの影響があり、一人暮らしをはじめたら実家が恋しくなる。ともならず何かあればすぐ帰れる距離にいると「ふるさと」と言われてもピンとくるものをあまり感じません。街の都市化は心までもそうさせるのかもしれませんが、両親への感謝を忘れず実家へ帰りたいと思います。【●】
コメント
小さな頃から田舎というものに縁がなかったため、夏休みなどに帰郷する友達が羨ましく思っていました。そんな私でも童謡「故郷」の美しさや伝えたい思いを感じ取ることが出来るのは、やはりこの生命が日本の大地から生まれたものだからでしょうか。子孫もまた同じ感覚を当たり前のように感じてくれるだろうか?と考えると、伝統文化のように廃れないで欲しい、と願うような気持ちが湧いてきます。
コメント
ふるさとと言うと、心の拠り所や、人間形成のさとというイメージを持っていましたが、今日の記事を読ませていただく中で日本人としての原風景、というイメージを強く持ちました。親、社会からの見守りを振り返り、しっかりと次世代に恩送りと伝承が出来る様に、自分自身の実践の元を強く確認して行きたいと思います。